傷ついた果実たち

─寺山修司の抒情詩

 Seibun Satow

 

「芸というものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」。

近松門左衛門『難波土産』

The less justified a man is in claiming excellence for his own self, the more ready he is to claim all excellence for his nation, his religion, his race or his holy cause".

Eric Hoffer “The True Believer

「もし世界の終りが明日だとしても、私は今日林檎の種子をまくだろう」。

ゲオルグ・ゲオルギウ

「テトラ!

愛川欣也『パック・イン・ミュージック』

 

江戸時代中期、『世界項目』という演劇作成マニュアルが刊行されている。『忠臣蔵』とその外伝である『四谷怪談』は、そこにあげられている『太平記』巻二十一の「塩冶(えんや)判官(はんがん)の慙死(ざんし)」をモチーフにして執筆されている。戯曲の作者も、演じる俳優も、劇場に足を運ぶ観客もこの背景を承知して、楽しむのが当時の姿である。日本文学には本歌取りの伝統があるが、それは、このように、別に短歌に限定されるわけではない。

 にもかかわらず、寺山修司は、早稲田大学在学中の一九五四年、第二回短歌研究新人賞を受賞したものの、既存の俳句をモチーフにして短歌にアレンジしたため、非難にさらされている。中井英夫の『黒衣の短歌史』によると、一九五三年の斎藤茂吉と折口信夫の死去に伴い、歌壇は暗澹たる状況に陥っている。さらに、中井は、この当時、若いのに短歌をつくるなどというのはよっぽどどうかした人であって、『短歌研究』が新人の短歌を募集したが、選者の彼は、まったく期待していなかったと告げている。ところが、第一回に応募してきた中城ふみ子が川端康成から絶賛され、歌壇は盛りあがりを見せ始める。寺山修司はその次の第二回に応募してきたのである。しかし、寺山の短歌は、選者にとって、あるときは「金貨」に、あるときは「偽金」に見え、判断がつけにくく、中井は花壇の「小姑根性」をかわすために、寺山が応募してきた五〇首から一七の歌を削り、原作の表題「父還せ」を「チェホフ祭」へ変更している。寺山修司は「入選者の抱負」を次のように書いている。「僕は決してメモリアリストではないことを述べようと思う。僕はネルヴァルの言ったように『見たこと、それが実際事であろうとなかろうと、とにかくはっきりと確認したこと』を歌おうと思うし、その方法としては(略)新即物性と感情の接点の把握を試みようとするのである。僕は自己の〈生〉の希求を訴える方法として、飛躍できる限界内でモンタージュ、対位法、など色々と僕の巣へ貯えた」。受賞後、グレン・グールドの演奏を彷彿とさせるこの「飛躍できる限界内でモンタージュ、対位法」が、中井の心配通り、歌人たちの間で議論になってしまう。

寺山修司は短歌ではなく、俳句から出発している。『青春句集・五月の鷹』において、一五歳から一九歳まで俳句に熱中したが、二〇歳になると冷めてしまったが、その理由がわからないと言っている。彼は俳句にかなり熱心にとりくみ、この時期、同世代の連中に呼びかけて全国的な同人誌を発行したり、俳人に会いにいったりしている。「天才の個人的創造でもなく、多数の合成的努力の最後の結果でもない、それはある深い一つの共同性、諸々の魂のある永続なひとつの同胞性の外面的な現われにほかならないから」(ウラジミール・ウェイドレー『芸術の運命』)。寺山修司は、『青春句集・五月の鷹』において、当時の俳句について、「こうした一連の句に共通しているのは、翳りのなさである。それは、私の単独世界であるよりは『少年の世界』の一般的な表出にすぎなかった」と述懐している。

寺山修司は、『誰か故郷を想はざる』において、俳句を始めたきっかけを次のように述懐している。

 

中学から高校へかけて、私の自己形成にもっとも大きい比重を占めていたのは、俳句であった。この亡びゆく詩形式に、私はひどく魅かれていた。俳句そのものにも、反近代的で悪魔的な魅力はあったが、それにもまして俳句結社のもつ、フリーメーソン的な雰囲気が私をとらえたのだった。

 

 そこに働く物理的変化は、三十日周期で実にはっきりと上下して行くので、投稿者は自分の作品の実力ばかりではなく、選者への贈り物、挨拶まわりにも意を払うようになる。十七音の銀河系。この膨大な虚業の世界での地位争奪戦参加の興味は、私に文学以外のたのしみを覚えさせた。私は、この結社制度のなかにひそむ「権力の構造」のなかに、なぜか「帝王」という死滅したことばをダブルイメージで見出した。

 

彼にとって、俳句は倒錯的なデカダンスを味わわせてくれるものであり、たんなる文学ではない。それは「ふりかえってみると口髭のように勤厳で、滑稽なのであった」。俳句から短歌への転回はその倒錯性を徹底化するためである。寺山修司は、『空には本』の「僕のノオト」において、「短歌をはじめてからの僕は、このジャンルを小市民の信仰的な日常の呟きから、もっと社会性をもつ文学表現にしたいと思いたった。作意の回復と様式の再認識が必要なのだ」と挑発的で論争的な発言をしている。「儀式」としての短歌はデカダンス以外の何ものでもない。寺山修司は、柄谷行人との対談『ツリーと構成力』において、「俳句の場合、たとえば西東三鬼の『赤き火事哄笑せしが今日黒し』でも、島津亮の『父酔いて葬儀の花と共に倒る』でも、一回切れるでしょう。そこに書いていない数行があるわけですよね。要するに系統樹は見えない。そこが読み手によってつくり変えがきく部分を抱えているんじゃないかと思う。短歌は、七七っていうあの反復のなかで完全に円環的に閉じられているようなところがある。同じことを二階繰り返すときに、必ず二度目は複製化されている。マルクスの『ブリュメール十八日』でいうと、一度目は悲劇だったものが二度目にはもう笑いに変わる。だから、短歌ってどうやっても自己複製化して、対象を肯定するから、カオスにならない。風穴の吹き抜け場所がなくなってしまう。ところが俳句の場合、五七五の短詩型の自衛手段として、どこかでいっぺん切れる切れ字を設ける。そこがちょうどのぞき穴になって、後ろ側に系統樹があるかもしれないと思わせるものがあるんじゃないかな。俳句は刺激的な文芸様式だと思うけど、短歌っていうのは回帰的な自己肯定が鼻についてくる」と言っている。これは彼の短歌と俳句に関する考えを要約している。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、二〇〇一年五月二十一日、イェール大学で、失言が多いという評判に対して、「私は完璧な古代俳句の形式とリズムで話しているのです(I'm speaking in the perfect forms and rhythms of ancient Haiku)」とスピーチしている。『黄金時代』の中で「現代百人一首」を試みている。しかし、「以前から一度やってみようと思っていた」にもかかわらず、「現代百人一首」では、寺山修司は短歌を選ぶのに、かなり苦労している。「『これが俳句なら』と私は思った。俳句ならば、やすやすと百人選ぶことも百句選ぶこともできたことだろう。それは、単に私の嗜好の問題にとどまるものではない。俳句は、おそらく、世界でもっともすぐれた詩型であることが、この頃、あらためて痛感されるのである」。

 

1989 the number another summer (get down)

Sound of the funky drummer

Music hittin' your heart cause I know you got sould

(Brothers and sisters, hey)

Listen if you're missin' y'all

Swingin' while I'm singin'

Givin' whatcha gettin'

Knowin' what I know

While the Black bands sweatin'

And the rhythm rhymes rollin'

Got to give us what we want

Gotta give us what we need

Our freedom of speech is freedom or death

We got to fight the powers that be

Lemme hear you say

Fight the power

 

As the rhythm designed to bounce

What counts is that the rhymes

Designed to fill your mind

Now that you've realized the prides arrived

We got to pump the stuff to make us tough

from the heart

It's a start, a work of art

To revolutionize make a change nothin's strange

People, people we are the same

No we're not the same

Cause we don't know the game

What we need is awareness, we can't get careless

You say what is this?

My beloved lets get down to business

Mental self defensive fitness

(Yo) bum rush the show

You gotta go for what you know

Make everybody see, in order to fight the powers that be

Lemme hear you say...

Fight the Power

 

Elvis was a hero to most

But he never meant shit to me you see

Straight up racist that sucker was

Simple and plain

Mother fuck him and John Wayne

Cause I'm Black and I'm proud

I'm ready and hyped plus I'm amped

Most of my heroes don't appear on no stamps

Sample a look back you look and find

Nothing but rednecks for 400 years if you check

Don't worry be happy

Was a number one jam

Damn if I say it you can slap me right here

(Get it) lets get this party started right

Right on, c'mon

What we got to say

Power to the people no delay

To make everybody see

In order to fight the powers that be

(Public Enemy “Fight the Power”) 

 

寺山修司の俳句において、季語はほぼ便宜的につけられており、その句に対する必然性を必ずしも持っていない。彼の季語には経験的詩学としての効果以上の意味はない。彼にとって重要なのは、短歌と俳句の違いを「七七」に求めているように、「形式とリズム」であって、言葉ではない。

寺山修司は、中村草田男に影響されて、次のような句をつくっている。

 

みなしごとなるや数理の鷹とばし

秋は神学ピアノのかげに人さらい

法医学・櫻・暗黒・父・自瀆

 

寺山修司の短歌や俳句は、このように、ときとして、「腰折れ詩(doggerel)」になっていることも少なくない。けれども、「腰折れ詩は必ずしも愚劣な詩ではない。それは頭の中で無意識的にはじまり、連想過程を通らずじまいの詩であって、動因は散文のそれであるのに、意志の力によって連想的になろうと焦っている詩なのである。偉大な詩が意識下で克服する、その同じ困難を腰折れ詩はさらけ出す。脚韻や韻律の都合で語句を無理やりひきずりこんだり、脚韻語に縁のある観念を引きずりこんだりする様子がわかる」(ノースロップ・フライ『批評の解剖』)。寺山修司は、『ツリーと構成力』の中で、五七調と七五調について、五七調が内向的であり、七五調は外向的であるから、七五調のほうを好むと言っている。七五調は、五七調に比べて、リズミカルであり、そのため、軽く感じられ、内向的には聞こえない。寺山修司が短歌を「回帰的な自己肯定」と非難するのは、七七がリズムを損ねるからである。

俳句好きでありながらも、歌人として世に知られた寺山修司は、『われに五月を』の後、第一歌集『空には本』(一九五八)、『血と麦』(一九六二)、『田園に死す』(一九六五)、前記の作品すべてと未刊歌集『テーブルの上の荒野』を収録した『寺山修司全歌集』(一九七一)を刊行している。『全歌集』を出版する際、短歌をもうつくらないと「歌のわかれ」を宣言し、以降、これは守られる。「歌のわかれをしたわけではないのだが、いつの間にか歌を書かなくなってしまった。だから、こうして『全歌集』という名で歌をまとめてしまうことは、私の中の歌ごころを生き埋めにしてしまうようなものである。このあと書きたくなったからと言って、『全歌集』の全という意味を易く裏切る訳にはいかないだろう。(略)ともかく、こうして私はまだ未練のある私の表現手段の一つに終止符を打ち、『全歌集』を出すことになったが、実際は、生きているうちに、一つ位は自分の墓を立ててみたかったというのが、本音である」。

三浦雅士は、『鏡のなかの言葉』において、寺山のジャンル変遷について次のように述べている。

 

あらためて述べるまでもなく、寺山修司は、『田園に死す』において、自身の俳句をそれまでとはまったく異なった世界を暗示するものとして読み変えることに成功したのである。(略)かつて『初期歌篇』そのほかで試みられたことが「実」の方向に読み変えることであったとすれば、それは「虚」の方向に読み変えることであった。『初期歌篇』が自身の俳句を内面的に深める試みであったとすれば、『田園に死す』は逆に表面的に広げる試みであった。すなわち、一方は深層へと向かい、他方は表層へと向かっているのである。そして初期の俳句作品は、あたかも鏡のように『初期歌篇』と『田園に死す』との間に屹立しているのである。

寺山修司は無意識のうちに初期の俳句作品を模倣したのではない。まさに意図的に読み変えたのであり、そのことは、たとえば映画『田園に死す』がこのような方法そのものを作品化したものであることひとつとってみても明らかである。映画『田園に死す』は、まさに中央で断ち切られるように反転し、「実」に対する「虚」の世界を、あるいは「虚」に対する「実」の世界を映し出してゆく。言葉を読み変えることは自分という物語を読み変えることにほかならない。母ひとり子ひとりという物語を読み変えることにほかならないのである。寺山修司は読み変えるということがどのようなことであるか映画のなかに鮮烈に定着してみせたのである。映画『田園に死す』は正しく『田園に死す』と名付けられねばならなかったのだ。

 

 倒錯性への遺志から始めた短歌であったものの、寺山修司の「歌のわかれ」は、俳句に比べて、短歌がリズミカルの点で劣るからであろう。意味ではなく、リズムを重視する姿勢が寺山修司の「実」に対する「虚」の転倒というこれまでの言説を構成させている。寺山修司は「実」と「虚」という二項対立の反転を映画『田園に死す』で試みたのではなく、決定不能を提示している。「自分の考えが変わったのか、それとも最初から嘘をついていたのか、それすらもはっきりしないんです。みんながぼくの言うことをあれこれ真面目にとりあげてるけど、あんなもの大して意味もないのになとぼくは思うんです」(デヴィッド・ボウイ)。確かに、「実」は権威の論理であり、「実」の要請は既存の体制の維持として機能する以上、それは反文化的な権威であり、文化を窒息死させる。「私は再創造的行為が創造的行為と本質的に異なるとは絶対に考えません」(グレン・グールド『グレン・グールド ピアノを語る』)。『うそだうそだうそなんだ』という詩において「実」への固執を書く谷川俊太郎と違い、寺山修司には、言うまでもなく、「実」への信仰はない。「実」はある体制を安定させ、そこの特権階級を生み出す。寺山修司はクエンティン・タランティーノやティム・バートン、ロバート・ロドリゲスのようなB級的なエッセンスを持ったオルタナティブである。そのため、彼の短歌が「金貨」にも「贋金」にも見えたのである。

森毅は、『B級文化のすすめ』において、「ホンモノというのは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生みだすのは、A級よりもかえってB級のような気がするのだ」として、次のように述べている。

 

考えてみれば、ぼくが子供のころに育った、戦前の宝塚文化なんてのは、レビューやショーは、フランスやアメリカのマガイモノだった。エノケンがジャズを歌った、戦前の浅草文科だってマガイモノだった。

 むしろ、マガイモノであるからこそ、そこに一つの世界を作って、文化となりえたのだろう。それが、カーネギー・ホールまで行ってしまったら、ホンモノ志向がすぎる。

 ぼくの好みをさしひいて、なるべく文化論的に見たいのだが、ホンモノというものは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生み出すのは、A級よりもかえってB級文化のような気がするのだ。

 

 形をA級にしたところで、せいぜいが既成のA級に伍してとの自己満足程度で、そのA級文化だって最初はB級文化だったのだ。映画の『アマデウス』のおもしろいところは、モーツァルトのオペラをB級文化風にとらえていることだった。

 むしろ、B級文化の渦のなかから出てくるものが、時代を変える。帝劇よりも浅草オペラ、名のだ。

 光るものは、B級のなかでも光る。A級にまじったところで、光らないものは光らない。B級文化が繁栄している時代というのは、文化的に成熟した時代だ。ぼくの好みはB級でぼくの時代がやって来た。

 

「『他人の死』は虚構だから、おもしろいに越したことはない、といいながら、いつのまにか虚実の境界(もともとそんなものはないのだが)を見失って、『他国の戦争』を心待ちにしはじめる。だが、われわれが住んでいる場所もまた他国にすぎないということだけは、忘れないように心がけておきたいものである」(寺山修司『不思議図書館』)。「実数(Real Number)」に対して、「虚数(Imaginary Number)」を考案したのはルネ・デカルトであるが、それは二乗して負の実数になる未知数を解くために生まれたのではなく、N次元の方程式の解を求める際に、導入されている。と言うのも、デカルトの代数幾何学を高次元に拡張するのは容易であるとしても、五次以上の方程式における一般解は存在しないからである。虚数は実数と「虚」数単位の積であり、実数と虚数の和が複素数である。複素数はシュレディンガー波動方程式の中にも出てくるし、電気の交流や電気回路、電磁波のように規則的に変化する量を表わすのに用いられ通り、波の現象の記述には不可欠である。寺山修司は芸術において「実」と「虚」を反転させるのではなく、「実」と「虚」を波として決定不能に陥らせる。「贋物が本物の存在を忘れたら、それが自分自身にとっての本物になる」(森毅『コピー時代のホンモノ幻想』)。

自伝『誰か故郷を想はざる』に「自叙伝らしくはなく」と添えられているように、寺山修司のレトリックは、記憶をたどり、蘇らせる過程のヴァーチャル・リアリティを感じさせる。この観点は「書く」と「消す」の狭間に基づいている。寺山修司は、『黄金時代』の「消しゴム」の中で、「『書く』と『消す』、『夢』と『影』のはざまで、少しずつ輪郭を失ってゆくものに私は思い馳せる」として、「自叙伝を書きながら、私は次第に記述者が何者であったかを忘れてしまって、いつのまにか手だけを残して、自分をも消し去ってしまっていたのである」と書いている。「一人ならずの者が、おそらく私と同じように、顔をもたないために書いているはずです。私が誰であるのかを尋ねないでください。私にいつも同じ状態でいろと言わないでください。そのように尋ねたり、言ったりするのは戸籍の道徳であり、それがわれわれの身分証明書を支配しています。書くことが問題であるとき、われわれはこの道徳から自由になるべきでしょう」(ミシェル・フーコー『知の考古学』)。「ヴァーチャル(virtual)」の反対語は「リアル(real)」ではない。「名目(nominal)」がそれに相当する。名目の類義語は「仮想(supposed)」や「擬似(pseudo)」である。前者は仮に想定したものであり、後者は外見は似ているが、本質的には異なるものを指す。また、リアルの反意語は「虚(imaginary)」である。ヴァーチャルは、むしろ、現実の類義語であり、それは表面的にはそう見えないけれども、本質あるいは効果において現実を感じさせるものを意味する。寺山修司がヴァーチャル・リアリティを意識していることは、空襲の記憶を思い返して、次のように書いている点からも明らかだろう。「だが、なかでももっとも無残だった空襲が、一番印象がうすいのはなぜなのか今もってよくわからない。蓮得寺の、赤ちゃけた地獄絵の、解身地獄でばらばらにされている(母そっくりの)中年女の断末魔の悲鳴をあげている図の方が、ほんものの空襲での目前の死以上に私を脅かしつづけてきたのは、一体なぜなのだろうか」。

寺山修司は映画というメディアの特性を熟知して、『田園に死す』の歌集を映画に反映させている。映像表現の歴史は、小栗公平の『映画を見る眼』によれば、「その現実性と非現実性とをめぐって、さまざまな進化、深まり」を見せている。寺山修司は自身の同名の歌集を元に、少年時代を取り扱った映画『田園に死す』(一九七四)を撮っている。この映画化は寺山修司の姿勢を明瞭にする。映画は、小栗公平に従うと、「『動いた状態でものを見る』という私たちの身体の行為が、(略)人為によって作り出され」て以来、「『見るという行為』をではなく、『見えるもの』をフィルムの上に」構成するものである。寺山修司は「実」と「虚」ではなく、「見えるもの」や「聞こえるもの」の追求を企てている。彼には、ジョン・カーヘンター監督のように、B級ホラー『ハロウィン(Halloween)(一九七八)や『ザ・フォッグ(The Fog)(一九七九)、『ブギーマン(HalloweenU)(一九八二)『クリスティーン(Christine)(一九八四)と本格的SFX作品『遊星からの物体X(The Thing)(一九八二)の両方をつくれるセンスがある。

 

Sweet Dreams are made up in years

Who am I to disagree?

I travel the world and the seven seas

Everybody's lookin' for somethin'.

 

Some of them want to use you

Some of them want to get used by you

Some of them want to abuse you

Some of them want to be abused

 

Sweet dreams are msde in years

Who am I to disagree?

Travel the world and the seven seas,

Everybody's lookin' for somethin'.

 

(hold your head up)

(keep your head up)

Movin' on.

(hold your head up )

Movin' on.

(keep your head up)

Movin' on.

(hold your head up)

Movin' on.

(keep your head up)

Movin' on.

(hold your head up)

Movin' on.

(keep your head up)

 

Some of them want to use you..

Some of them want to get used by you..

Some of them want to abuse you..

Some of them want to be abused..

 

(hold your head up)

(keep your head up)

Movin' on.

(hold your head up )

Movin' on.

(keep your head up)

Movin' on.

(hold your head up)

Movin' on.

(keep your head up)

Movin' on.

(hold your head up)

Movin' on.

(keep your head up)

 

Sweet Dreams are made in years

Who am I to disagree?

I travel the world and the seven seas,

Everybody's lookin' for somethin'.

(Eurythmics “Sweet Dreams (Are Made Of This)”)

 

恐るべき量の編集ミスを含むリチャード・ギア主演の『プリティ・ウーマン(Pretty Woman)(一九九〇)を思い起こさせる事態を考慮するとき、寺山修司のヴァーチャリティが明瞭になる。寺山修司は、『誰か故郷を想はざる』の中で、生涯最高の思い出として東京ジャイアンツの藤本(現姓中上)英雄が西日本パイレーツ相手に達成した完全試合をあげているが、一九五〇年六月二八日、青森市営球場での変則ダブル・ヘッダーの第二試合(開始午後四時一四分)である。この年限りで消滅したパイレーツの監督を白石勝己(旧名敏男)と記している。けれども、実際には、小島利男が監督であり、小島は、この試合、パイレーツ二七番目の打者として代打でバッター・ボックスに立ち、三振している。白石は五三年からは八年間、さらに六三年から三年間広島カープの監督を務めているが、当時はまだ広島カープの選手であって、監督は石本秀一である。このような記憶違いが起こったのは、おそらく、この完全試合の前の第一試合に松竹ロビンズ対広島カープが行われており、白石はこの試合で一番ショートとして出場していたことと混乱したためだろう。意識していようといまいと、こうした認知過程がヴァーチャル・リアリティに関連している。”epur si mouve”.

寺山修司のレトリックはCGと言うよりも、蓮得寺の地獄絵を例にあげているように、一九五〇年代のレトロな特撮を感じさせる。『誰か故郷を想はざる』はたんなるホラまじりの自叙伝ではなく、言語表現におけるヴァーチャリティのための特撮の技術の見本にほかならない。寺山修司は、『藁の天皇』において、呪術で用いられる藁人形と天皇との効果における類似性を指摘している。「呪術の媒体具としての藁人形が、われわれの社会生活の一つの類感のための道具として、経験を代行する存在として、在ったように、現代の藁人形を通してしか日常の現実原則と通底しないのと同じような意味合いにおいて、天皇も在るということも見抜く必要がある。その時、天皇の存在は天皇制も含めてドラマツルギーのサイクルの中心でとらえることができるのである」。こうした効果への認識を持つ寺山修司への非難は「ファン・メーヘレン・シンドローム(Van Mechelen Syndrome)」(グレン・グールド)にすぎない。

 寺山修司は効果への意志を有し、演劇へと向かう。演劇は必然性に基づいていなければならない。寺山の演劇の目標はその必然性の解体である。寺山修司はフランシス・ベーコンが『ノウム・オルガヌム(Novum Organum)』の中で批判する「劇場のイドラ(idola theatri)」を肯定する。彼の演劇はこのイドラを演じることだ。

 

たいくつの仮面をはずすと

よろこびの仮面があります

 

よろこびの仮面をはずすと

いつわりの仮面があります

 

いつわりの仮面をはずすと

くたびれた仮面があります

 

くたびれた仮面をはずすと

とまどいの仮面があります

 

はずしてもはずしても

はずれない仮面は

 

いつもなみだを流している

(寺山修司『劇場』)

 

ベーコンは正しい知識獲得の妨げとなる偏見や先入観を「イドラ(idoka)」、すなわち偶像と呼び、四種類をあげている。「種族のイドラ(idola tribus)」は人間の本性につきまとうものであり、「洞窟のイドラ(idola specus)」は個人の特殊な条件によって生じ、「市場のイドラ(idola fori)」は言語が精神に及ぼす影響により派生し、「劇場のイドラ」は既成の哲学体系や誤った論証方法を妄信することである。寺や名修司は、詐欺師やペテン師だらけの劇場において、自分の演劇が上演されてしかるべきだと信じていたに違いない。

けれども、寺山修司は、演劇において、最も評価されてきたとしても、その試みは、実際には、新たな演劇の提起にはつながっていなかったと言わねばなるまい。

一九八二年に刊行された『臓器交換序説』は『迷路と死海』に次ぐ二冊目の演劇論集である。本人によると、『迷路と死海』が「原理篇」とすれば、これは「実践篇」である。彼は短歌や俳句では形式に倒錯的に従っていたにもかかわらず、演劇においては形式への従属を拒もうとする。寺山修司は演劇の持つ必然性に対して演劇による内在的な批判を試みたわけだが、別の必然性を提示したにすぎない。即興は本能と直観の論理に基づいている。それは、彼の演劇がそうであるように、ストーリーから離れ、行為自体へと隣接する。寺山修司の演劇はパフォーマンスである。このパフォーマンスは観客との共同作業であり、騒々しく参加し、役者と即興の台詞と奇妙な演技でコミュニケーションする。パフォーマンスは馬鹿げたことの快楽である。そこでは現実的なものと荒唐無稽なものが同居する。惰性による破壊の反復は想像行為から訣別せざるを得ない。演劇は、映画と違い、同じシナリオを一定期間繰り返して演じるため、演技は反復に耐えるものにならざるを得ない。突然、ある公演に力を入れすぎると、次のときにはその負担が出て、うまくいかない。反復とはいかなるものなのかを演劇の演技は具現する。「演技経験のないふつうの人が映画に出ると、自分が見せる立場に立っているという自覚より、自分が見られているという羞恥心の方が強いでしょうから、技術としてハードルをどう越えて行くかという発想をもちません。それに代わって、ふだんは意識していないけれど、その人に備わっている生活感覚、自然観といった、根太いなにものかがそこで手探りされていくように思えます。しかしこの道は、一度や二度は通れるけれど、手探りしないで通れるようになってしまうと、うまくいかないことが多くなるようです」(小栗康平『映画を見る眼』)。寺山修司の演劇の演技はこの指摘を超えない。

また、演劇は舞台という固定された場所で行われるため、映画と違い、出来事の連鎖によって進んでいくことができない、観客の想像力によって、その制約を補い、展開する。「過去と現在との出会いの偶然性を、想像力によって組織することを、ドラマツルギーとして認識する」としながらも、寺山修司が「私はしばしば、社会面にスキャンダルを提供し、追放の危機にさらされながら活動をつづけなければならなかった」と告げるとき、彼が新しい演劇を提示したのではなかったことが強調されよう。

寺山修司は、「演劇実験室天井桟敷を拠点として、十年間活動してきた私の『演劇の方法』の集大成」として『迷路と死海─わが演劇─』を一九七六年に刊行している。寺山修司は「想像上の体験と現実の生活とのあいだの相互作用を、そのまま俳優と観客、劇場と市街などの関係に換喩しながら、この論文」を書いている。寺山修司は「劇はもはや因果律によって支配されるべきではない」のであって、天井桟敷の「主目的は、政治を通さない日常の現実原則の革命である」と主張している。けれども、因果律の批判は偶然性の優位によって可能になるのではない。ガラスの向こう側に見えるパチンコの玉の動きは予想できないが、それは偶然性が強いからではなく、初期値敏感性を持っているからである。ほんのわずかな違いが大きな差を結果としてもたらす。こういった現象は非線形の認識によって理解できる。寺山修司は「因果律」の束縛、すなわち必然性の解体を目標にして、実験演劇を試みたわけだが、これは背理である。確かに、ニューヨークの伝説的な演劇学校ネイバーフッド・プレイ・ハウスのスタンフォード・マイスナーは、一九五〇年代、意識していなかった新たな自己を発見でき、なおかつとにかく役者は他人の目にとまらなければならない理由で、即興の演技を重視している。マイスナーは、ロバート・デュヴァルやマイケル・ダグラス、ジェームズ・カーンといった現在でも活躍している多くの名優を育てているが、それは生き馬の目をぬくような当時のニューヨークの状況から生まれた発想である。実験は、通常、因果関係を明確化するために行われる。系を閉じて非日常を構築し、特定の変数に限定することによって、データの妥当性を高める。個別研究には向くものの、導き出された結論を一般化するのは困難である。非日常は閉じられた系であるため、線形的・平衡的であり、開かれた系の日常に見られるほとんどの現象は非線形・非平衡である。因果律から離れたいのなら、多くの変数を扱う相関的なアプローチ、すなわちシミュレーションをとるべきだろう。そもそも実験はある仮説の妥当性を実証するために試されるのであって、実験が成功し、因果関係が立証されたとしても、それが技術的に使えるわけではない。実験の成功と応用の可能性は同一ではない。寺山修司は、彼の「演劇実験室・天井桟敷の軌跡」について「呪術的な媒介作用を通して『社会転覆』をめざした」のであり、「私の演劇は社会自身の埋め合わせとの葛藤のくりかえしだったと言っていいだろう。演劇は社会科学を挑発し、日常の現実へ疑問をさしはさんだ」と述べている。非日常性への固執は、逆に、抑圧を生み出す。平田オリザの『演劇入門』によると、軍隊のように、抑圧の強い空間ほど、新参者は、それまで見につけてきたものを捨て去り、そこでのみ特有なルールの獲得を一方的に強要される。短期間のうちにその習得を可能にするため、特殊な言語が用いられる。逆に、友人関係のように、抑圧の少ない空間であればあるほど、構成する人たちは長い時間をかけ、対話などを通じて、お互いに慣れてきたものをすり合わせ、ルールを共有しようとする。現代社会はおそらく前者であり、プロパガンダとして作られた演劇はそういう性格が強い。こうなってしまうと、演劇は白々しくなる。非線形的な演劇は、今世界中を見回しても、十分に実現されているとは言いがたい。寺山修司の主張をそのまま受け取るのではなく、エッセンスを汲み取るべきである。それこそが「政治を通さない日常の現実原則の革命」につながる。「役者がいろんな役をやるのはうまく演技をするのが目的じゃない。その役の人間の性格や心理を深く研究するためだ。医者が患者の容態や病状を見てその病気を判断するのとまったく同じだ」(手塚治虫『七色いんこ』)

非線形現象に関する認識の不備は、演劇だけでなく、寺山修司に極めて残念な実践をもたらしている。彼は、『鉛筆のドラキュラ』の「ウォーホル論を複製する試み」において、「アンディ・ウォーホルについて語るには、アンディ・ウォーホルの方法が一番いいのだ、と私は思っていた。必要なことは、ウォーホルのための百科事典などではなく、ウォーホルを日常化し、コカコーラのように毎日飲む、ということなのだ」と言っている。これはウォーホルを論じるには、非常に的を得た姿勢である。しかし、「アンディ・ウォーホルについて書いた文章を二三の部分に区切る、一〇人の友人たちに読んで聞かせて『複製』したもの」という方法は先の意図を反映しているとは言えない。「聞き違い、同義反復、同音異義のものまでふくめて、アンディ・ウォーホル論はくりかえされながら、一つの文脈にたどりつく」というウォーホル論では、アンディ・ウォーホルの提起した問題を後退させている。アンディ・ウォーホルの作品はフラクタル性を体現しているのであって、必然性と偶然性の二項対立とは無縁である。寺山修司は、さまざまな場面で、必然性と偶然性を対立させ、偶然性の優位を示す試みを行っている。彼のそうした願いが的を得た理解をしながらも、ときとして、それを作品化する際の障害になってしまう。必然性と偶然性の二項対立からは把握できないカオスなど決定論的非周期性という性質を持つ現象に対する認識の欠落は、彼の一つの限界である。

誰でも特定の時代・社会に生きる以上、その背景に限定される。寺山修司も例外ではない。しかし、寺山修司の不運はあまりにそこに限定されすぎている点である。一九六九年、寺山修司と天井桟敷の若者たちが記録した家出をめぐるドキュメンタリー『ドキュメンタリー家出』を刊行している。一九六〇年代末、寺山修司は「家を出よ!」というアジテーションを発している。これは当時の社会でセンセーショナルな話題となったが、彼は「家出の実践は、政治的な解放のリミットを超えたところでの、自立と自我の最初の里程標をしるすことになるだろう」と言っている。家出が目的なのではなく、家出を通じて、社会や家族、自我を解体し、新たな価値を創造することを提唱している。

時代も社会も、寺山修司の影響力があった頃とは、大きく変わっている。ストーカーも、今では、ソートン・ワイルダー(Thornton Niven Wilder)の演劇『恋わずらいのなおし方(Love and How to Cure It)(一九三一)に描かれるような分別さを失い、法的規制対象である。こういった優れた作品でさえ上演するのも難しくなっている。

二〇〇一年くらいから、マスメディアで「プチ家出」という言葉が使われるようになっている。それは、ティーンエージャーが友人の間を四、五日から一〇日間前後の短期間、泊まり歩くことを指している。その当初はそう呼ばれていなかったが、高校では、一九九三年頃から、中学では、一九九九年頃からこうした行動が見られている。「援助交際」なる言葉が巷に広まった時代において、寺山修司の名を知っていることさえ怪しい彼らが家出のアジテーションに共感して、プチ家出をしているわけではない。一九九〇年代、プリクラが流行したように、小さな自己表現が主流となっている。大きな流行に抗うことはそれに飲まれることと同じであり、むしろ、密やかな自己表現の方がいい。同様に、彼らはプチ家出を簡単にできて、さほどの危険性がないと思い、アクセサリーのような自己表現として、行っている。寺山修司の主張する大いなる決意を持って家出をしていない。寺山修司の唱える「家出」は、現在から見れば、大きい。さらに、この傾向は日本にとどまらない。二〇〇四年、子供の人身売買や児童ポルノ問題に取り組む国際的NGOのエクパット(ECPAT)は九〇年代半ば頃から日本で深刻化した「Enjo Kosai現象」が韓国や中国、フィリピン、シンガポール、タイにも広がっていると報告している。こうした子供たちは「中流家庭の属し、外見上は社会的にも金銭的にも問題が見られない」けれども、「親などの過保護で息苦しかったり、逆に家族とのコミュニケーションが欠けていたりして、孤独感を抱えている子供が多い」。この報告に比べると、ポイントが外れている宮台真司の分析を日本のメディアが受容してきたのは、無駄の見本だと言わねばなるまい。また、寺山修司は、『戦後詩 ユリシーズの不在』は、アレン・ギンズバーグの『咆哮』から青島幸男の『これが男の生きる道』まで広い領域に及ぶ多くの詩について批評している。「戦後詩の(戦前との対比におけるというような)歴史的な意味づけではなくて、同時代の詩人たちへの『話しかけ』」である。戦後詩の序列を目的としていないので、その選択は恣意的であり、寺山修司の「批評(クリティーク)もまたたやすく受容れられないものと思われる」。ユリシーズは不在だが、ジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』の主人公レオポルド・ブルームのような詩人は数多く登場する。寺山修司は、無数の戦後詩を読み、「詩人たちはみな『偉大な小人物』として君臨しており、ユリシーズのような魂の探検家ではなかった。詩のなかに持ちこまれる状況はつねに『人間を歪めている外的世界』ではあっても、創造者の内なるものではないのだった」と感じている。「偉大な小人物」の一人である青島幸男は、一九九五年、東京都知事に当選している。七〇年代と違い、現代は「小人物」の時代が定着している。「この本の続きの仕事を、私は私自身の詩の実作によってはたすつもりである。まだ何ひとつとして終わったわけではない」。しかし、彼は、一九八三年、あまりに早すぎる死を迎えてしまう。

一方で、寺山修司は時代の流れについて的確に把握してもいる。寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」というテーゼは、かつてパラドキシカルなアジテーションと見なされていたが、寺山修司にとって、最もふさわしいメディアはインターネットだったのである。一九六八年のアメリカ訪問記『アメリカ地獄めぐり』を「もっと、小新聞を。パルチザン・レビュー状況を」と寺山修司は閉じているが、UCLAの報告書”Surveying the Digital Future”によると、今日、全米では新聞やテレビ、ラジオ以上にインターネットが重要な情報源として認識されている。「パルチザン・レビュー状況」は当然の状況になっている。

 

Purple Haze was in my brain,

lately things don't seem the same,

Actin' funny but I don't know why

'scuse me while I kiss the sky.

 

Purple Haze all around,

Don't know if I'm coming up or down.

Am I happy or in misery?

Whatever it is, that girl put a spell on me.

 

Purple Haze was in my eyes,

Don't know if it's day or night,

You've got me blowing, blowing my mind

Is it tomorrow or just the end of time?

(Jimi Hendrix “Purple Haze”)

 

さらに、一九六六年、寺山修司は唯一の長編小説『あゝ、荒野』を刊行している。家出してボクサーになった通称「バリカン」は、ジムの窓から夜の新宿に輝くネオンの荒野に目を向けて、「西口会館のSUNTORYのネオンのYの字だけが後れて点くのは何故か?」という疑問にとらわれる。このバリカンの他に、彼のライバル新宿新次や好色な曽根芳子、自殺研究者の川崎敬三、裏町の実業家宮木太一らが新宿歌舞伎町を中心に繰り広げる物語である。それは伊東四朗が歌う『西口物語』を思い起こさせる。

寺山修司は、「あとがき」の中で、「この小説を私はモダン・ジャズの手法によって書いてみようと思っていた。幾人かの登場人物をコンポ編成の楽器と同じように扱い、大雑把なストーリーをコード・ネームとして決めておいて、あとは全くの即興描写で埋めてゆくというやり方である。したがって、実に行き当たりばったりであって、構成とかコンストラクションとはまるでほど遠いものとなった」と言っている。この小説は、日本で、最初のポストモダニズム小説であり、寺山修司の先見性を多く発見することができる。

寺山修司の「即興描写」は意味ではなく、俳句や短歌同様、リズムを優先させていることを表わしている。即興的アプローチ、いわゆるインプロヴィゼーションは、インスピレーションと同様、短いアドリブであって、創造行為における一つの神話にすぎない。それは、よく聞くと、ある傾向を類型化・変奏化しているだけだ。Wie aus der Ferne. 即興演奏は完全に無の状態から演奏するのではなく、演奏を効果的に行うための決まりに従うことが多い。ミュージシャンは演奏中の音楽様式の規則を理解していなければならない。コード進行やリズム・パターン、メロディ・モチーフなどがミュージシャンにとって了解事項である。それらを結合・変化させながら、完結させることなく、新しい即興演奏の出発点になる。これは二つに大別される。まず、楽曲全体を即興的に演奏するもので、与えられた主題や形式に基づいて曲が構築される。前奏曲や幻想曲、変奏曲、フーガなどにこれに含まれる。第二は、既存の楽曲に即興的に装飾を加えたり、声部を加えたり、挿入句を加えたりするものである。協奏曲のカデンツァやジャズのインプロヴィゼーションもこの一種である。また、ある音楽文化では、即興演奏に特定の秩序が設けられていることがある。インド音楽のラーガやアラブ音楽のマカームには、典型的な旋律型、終止形、中心音が定められており、即興演奏が習慣的な方法に沿って展開される。他にも、アフリカのドラマーは複雑なリズムやアンサンブルの伝統にのっとって即興演奏する。けれども、即興演奏自体が権威化してしまうこともある。一九五〇年代半ば、コード進行を基本にして即興演奏を展開していくビー・バップの方法論が行きづまりを見せ、セロニアス・モンクが発見され、さらに、ジョン・コルトレーンが「シーツ・オブ・サウンド(Sheets of Sound)」の奏法を考案している。寺山修司にとって、インプロヴィゼーションは音楽に対する音の優位を指している。彼の方法は、とすすれば、「シーツ・オブ・ワーズ(Sheets of Words)」と理解すべきだろう。

「国民」という抽象的な存在のための言文一致化された後の「共通語」や「標準語」とも呼ばれる日本語に対して。方言は具体的なイメージを抱きやすい。寺山修司はこの小説の中でそれに自覚的である。けれども、「歌謡曲の一節、スポーツ用語、方言、小説や詩のフレーズ。そうしたものをコラージュし、きわめて日常的の出来事を積み重ねたことのデペイズマン」がこの小説には見られるが、寺山修司の理想を真に実現したのは、むしろ、中上健次である。寺山修司は「東京新宿区歌舞伎町」を「共作者兼批評家」と呼んでいる。中上健次にとって、それは熊野を代表とした「路地」であり、「そこから肉声で『話しあえる』場所へ到達する近道」である。

寺山修司は日本近代文学の系譜から離れている。しかし、中上健次以降の日本文学を考える際に、『あゝ、荒野』は初歩的ながらすべてがある極めて示唆的な小説である。

そうした先見性と時代による限界をあわせ持つ寺山修司の理想とする演劇はすでに実現されている。子供向けの演劇を見にいくとそれはすぐにわかるだろう。まさにアナーキーであり、必然性など入りこむ余地がない。子供は縦横無尽に走りまわり、大声を上げ、無き、笑い、私語を構わず続け、舞台につっこんでいる。子供向けの演劇には舞台と客席の区別がない。モーリス・メーテルリンクの『青い鳥』を子供向けのミュージカルに仕立てた際の台本を担当した寺山修司もそれを知っていたことだろう。

『おかあさんといっしょ』の一六代目の歌のおねえさん、神崎ゆう子は、『歌のおねえさんグラフィティ』の中で、「私が歌っている最中に、ねえ、ねえって話しかけてくる子もいたんですよ。むげには断れませんから、間奏になるのを待って、聞いてあげました。また、カメラに映らないところでけんかが始まり、ひとりが泣きだしたことも。そんなときは、私がカメラに映っていない間にそこへ行ってなだめて、また、元の場所に戻ったりして(笑)。いろんなハプニングがありましたが、だんだん、今日はなにが起こるか楽しみ、と思えるようになりました。子どもと接していると、私自身が解放されるんです。とても楽しくって。ですから、番組やっているときは、子どもといっしょに遊ぶことで、精神的に休まっていたのかも」と述懐している。一五代目の歌のおねえさん、森みゆきも「そして、スタジオでのハプニング。子どもにインタビューすると、放送してはいけない固有名詞が飛び出してくることがあるんですよ。初めのうちはそれが怖かったんですが、しだいに、子どもたちならではの、意表をついた回答が楽しみになっていましたね」と言っている。

 SFやミステリー、オカルト、アクションをとりこんだスリップストリームはもはや珍しくないけれども、ロバート・ロドリゲス監督は、こうした子供の特性を使い、『スパイ・キッズ(Spy Kids)』シリーズを製作している。『デスペラード(Desperado)』シリーズを撮っている通り、彼の映画はスリップストリームに属するが、子供向けの作品をパンクで製作した映画はこれまでなく、画期的だと言わざるを得ない。

 『おかあさんといっしょ』の一七代目の歌のおねえさん、茂森あゆみと一八代目の歌のおねえさん、つのだりょうこが、『歌のおねえさんグラフィティ』の中で、次のような「トークデュエット」をしている。

 

あゆみ 私も最初は、どうしていいか分からなくて、子どもに「おくちゅはいてね。」って赤ちゃん語を使ったら、「くつでしょう?」とか直されちゃったりして(笑)。

りょうこ あ、私も、セリフをまちがえちゃって「ごめんなさい。」って言ったら、子どもに「大丈夫だよ。」って励まされました(笑)。

あゆみ 三歳の子って、私たちが思っている以上にしっかりしていて、自分たちはもう赤ちゃんじゃないっていう意識があるのね。たとえば、三歳の子が「ねえねえ、あゆみおねえさん。私がちっちゃい時ねえ……。」って話しかけてきたり。私から言わせると「あなた自身がまだちっちゃいじゃない。」って思うんだけど。だから、よく「子どもの目線で」とか言うけど、子どもって赤ちゃん扱いされるのは好きじゃないから、子どもをこっちの目線にもってくるくらいの気持ちでいるほうが、かえって楽にしゃべれるかもしれない。

りょうこ ふーん、なるほど。

あゆみ もちろん、おとな同士のように対等に話すことは無理だけど、ことばをやさしくしてあげて、対等な気持ちで。あと、私が守ってきたのは、うそをつかないこと。

りょうこ うそ?

あゆみ たとえば、地方収録で、都合があってみどくんふぁどちゃんしか行けないことがあると、子どもが「れっしーと空男くんは?」って聞きますよね。そういう時に「あとで来るよ。」とか答える人もいるけれど、私は「今日は風邪をひいて来られないのよ。」とか、それなりの理由を説明してあげるようにしてた。現実には来ないわけだから、子どもが「あとで来るって言ったじゃない。」という思いを抱かないように。

りょうこ それは大事ですね。

 

また、大人向けでも、とにかく出来にムラがありすぎたために、六代目菊五郎の舞台は見てみなければわからない。

寺山修司の演劇の中で最も優れているのは『悲劇一幕 巨人対ヤクルト』である。ほとんどパターン化されてしまったV9時代のジャイアンツのゲームがまるまるつくりあげられていた作品だった。最初ヤクルトがリードしているが、後半になると、巨人にあっさりと逆転され、終わってみれば巨人が楽に勝っているという内容だった。むしろ、寺山修司の演劇の試みはこういう内容のほうが有効である。寺山修司は演劇におけるジョン・ケージではない。「そして最後に、微小なものとして存在しているに違いないと私が思っているこのすべての生きとし生けるものが、電子工学の助けによって増幅され拡大されて、劇場に持ち込まれ、私達の楽しみを最も興味深くすることができないかどうか」(ジョン・ケージ『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』)。レイモンド・ポストゲートの『十二人の評決』に影響されたレジナルド・ローズ原作の『十二人の怒れる男』はテレビ・ドラマであったにもかかわらず、演劇のように、舞台をほぼ固定して筋を展開している。これは主題がプロットにとどまっていない。有罪の立証という必然性を演劇形式を表面的にとることで強調して見せつつも、実は、カメラのアングルとサイズやフィルムの編集を用いられるテレビによることで、人々には先入観があるのだという主題を体現した画期的な作品である。寺山修司の演劇作品にはここまでの内容はない。偶然性が支配するはずの世界が必然化されていることをパロディとして示すことのほうが必然性解体につながる。

ところが、寺山修司の演劇においても、効果だけは例外である。彼はギミックを劇場で試みている。この手法は、アルフレッド・ヒッチコックに異常なまでの対抗心を燃やしていたウィリアム・キャッスルの映画──『マカブル(Macabre)(一九五八)から『血だらけの惨劇』まで──で本格的に導入されてから、ディズニー・ワールドでも採用されている。それはスクリーンと観客席の区別を無化させ、スクリーンで展開されていることを観客席でも疑似体験させるものである。観客はより以上の恐怖とスリルを味わわせる。キャッスルは、『マカブル』で観客全員に死亡保険──見ている最中に観客が死亡したら一〇〇〇ドルが支払われる──をかけている。『ティングラー(The Tingler)(一九五九)では、客席のいくつかに微電流が流れる装置を仕掛け、ティングラーという寄生虫が劇場に逃げ込むシーンで電流を流している。『時刻へつづく部屋(House On Haunted Hill)(一九五九)においては、観客の上にゴムで膨らませる骸骨をつるし、『13ゴースト(13 Ghosts) (一九六〇)では特殊なメガネをかけさせ、『第三の犯罪(Homicidal)(一九六一)はヒッチコックの『サイコ』のパロディであり、種明かしの直前に上映を中断して、「今、後ろに聞こえるのは心臓の鼓動の音だ。諸君の心臓はこれより早く打っているかね?もし、早ければ今のうちに劇場を出た方がいい。入場料はそっくりお返ししよう」と自ら口上をしている。『ミスター・サルドニカス(Mr. Sardonicus)(一九六一)において、オチを二通り用意し、ラストの寸前で投票を行い、主人公であるサルドニカス氏の命運を観客に委ね、『ソズ!(Zotz!)(一九六二)では、魔法の「ソズ!」コインを使っている。『血だらけの惨劇(Strait-Jacket)(一九六四)以降からギミックは用いられていない。ギミックは、ヴァーチャル・リアリティ認知の発展と共に、再認識される。特殊効果という点では、演劇がどうあれ、寺山修司は、現在から見ても、エッジが効いている。

驚くほど広範囲の領域で活動した寺山修司であるが、彼は『俳優就業』や『復興期の精神』の花田清輝の継承者であり、その作品はメニッポス的諷刺である。「めだちたがりやには、自己を道化と位置づけるだけの批評精神が必要になる。道化になるためには、批評精神がなくてはならぬ。自己に向けてのめだちたがりとは、自己に対する批評の一形態なのだから」(森毅『めだちたがりの美学』)。さまざまな要素が入りこんでいるメニッポス諷刺は、写実主義や自然主義の時代には、省みられなかったけれども、脱線の文体を操ったピンダロスの継承者ローレンス・スターンを経てポストモダン文学に至り、メニッポス的諷刺は再評価される。「メニッポス的諷刺(Menippean Satire)」というジャンルを定義したのはマルクス・テレンティウス・ウァロであるが、ソクラテスの弟子で、キニク派のアンティステネスが創始者である。アリストテレスの同時代人ヘラクレイデスも対話に空想物語を加えたロギストリクスも考案している。また、ビオンは不在の相手との対話という形をとり、発話と思考の過程を対話化するディアトリベーの創始者である。その系譜上に、メニッポスとウァロが続く。メニッポス的諷刺の古典的作品として、ルキウス・アンナエウス・セネカの『アポコロキュントーシス』、ネロの宮廷の遊客であるガイウス・ペトロニウスの『サチュリコン』、シリア生まれのルキアノスの諸作品──『本当の話』・『空飛ぶメニッポス』・『漁師』・『嘘好き、または懐疑論者』・『偽預言者アレクサンドロス』──、アプレイウスの『黄金のロバ』、ボエティウスの『哲学の慰安』、『ヒポクラテスの書』がある。エピクテトスやマルクス=アウレリウス・アントニヌス、アウレリウス・アウグスティヌスの諸作品のように、自分自身との積極的対話を通じた自己開示のソリロギウムは自己の一貫性を破壊する。「超限数については、かつて聖アウグスティヌスの行ったこと以上のことは望みえない」(ゲオルク・カントール)。ディアトリベー、ロギストリクス、ソリロギウム、宴席における対話のシンポジオン、神や英雄の奇跡的行為を叙述したアレタロギアもメニッポス的諷刺の要素を持っている。古代ギリシアやローマの作品は多かれ少なかれそうである。ルネサンスや啓蒙主義の作品はほとんどこれに属する。「われらは禁ぜられたるものを求む」(プブリウス・オウィディウス・ナソ)を実行していたヴォルテールやドニ・ディドロ、ジャン・ル・ロン・ダランベールといった啓蒙主義者の先行者であるルネサンス期の人文主義者は古典的教養を重視している。フランソワ・ラブレーやトマス・モア、デジデリウス・エラスムスは、古典研究を通じて、人間性を解放したのである。ジョルジュ=ルイ・ルクレール・コント・ド・ビュフォンの『文体論』における「文は人なり(Le style c'est l'homme)」という言葉は、文章が人柄の表現だということを意味するのではない。人文主義者の語り合いには、眉間にシワをよせた偏屈者や辛辣な言葉、激しい言い合い、ピリピリとした雰囲気はない。三段論法といった興醒めするものなどまっぴら御免だ。闊達で自由、平和、穏やか、優雅、遊ぶように、適格に言葉を発する。ユーモアを最も重んじ、冗談のわからないのはまったく困ったものだ。「よき人々にすべては解放される」(コンラート・ムチアン)人文主義者は正面切った論争は好まない。彼らは、そんな場面で、ユーモアをこめ、やんわりと、しかし、致命的に相手をやりこめる方法として、諷刺を用いた。まともにぶつかり合っては、しこりを残す。たとえ論理的能力が劣っている相手であっても、その言葉をうまくかわすほうが賢明だ。そうした姿勢にちなんで、EUは、一九八七年、加盟諸国における各種の人材養成計画、科学・技術分野における加盟国間の人物交流協力計画の一環として「エラスムス計画」を創設している(一九九五年、EUでの教育分野の行動計画である「ソクラテス計画」の高等教育部門に統合)。人文主義者は隠遁者ではない。ジャーナリスティックに活動する。しかし、彼らは、「静安に祝福あれ」(コンラート・ムチアン)を好むがゆえに、こめかみに血管を浮き立たせてまで、論戦に身を置くことはしない。田原総一郎はお呼びではないというわけだ。人文主義者は古典的ラテン語、すなわちキケロ風の優雅なラテン語を復興する。彼らから見れば、スコラ哲学のラテン語は堅苦しく、野蛮極まりない。彼らはこの言語を通じて思考する。直接的ではなく、どこまでも間接的に、すなわち一定の距離をもって世界に接する。と同時に、方言や俗語、隠語による民衆文化も活発になっている。ルネサンスの雰囲気はまさにカオスであり、メニッポス的諷刺が現実化した時代である。荘重と放縦、讚歌と諧謔、冗談と本気、素顔と仮面が融合している。寺山修司は、この意味において、人文主義者である。寺山修司はルネサンス的理想を体現している。いかがわしく、インチキくささが漂う寺山修司には「万能人」という言葉はふさわしい。『地獄篇』はダンテ・アリギエリの『神曲』、『寺山修司少女詩集』はフランチェスコ・ペトラルカのパロディである。errare humanum est.

「ぼくに言わせれば、一つのことにかけるから、うまくいかぬこともある。両道かけてみれば、かえってうまくいくこともあるのだ。それに、うまくいこうがいくまいが、そのために人生がゆたかになったら、それでいいではないか。怒る人がいるかもしれぬが、一つのことに専念していたら、失敗したときに言いぬけの口実になる。一意専心なんて、その程度ものじゃないかしら」(森毅『わらじは二足』)。「人は書物を読むときに、他の一切の行動を中断し得ない」(寺山修司『不思議図書館』)。我迷路了。「われわれの目的は成功ではなく、失敗にたゆまず進むことである」(ロバート・ルイス・スティーブンソン)。

 

 なみだは

 にんげんのつくることのできる

 一ばん小さな

 海です

(寺山修司『一ばんみじかい抒情詩』)

 

寺山修司の文学に関する認識は最も抒情詩において顕在化している。と言うのも、ノースロップ・フライの『批評の解剖』によると、「このジャンルは、文学の核心を最も明らかに示す──すなわち、叙述と意味を逐字面において、語順と語のパターンという形で示すのである」からだ。

 

 そこに

 見えない花が咲いている

 教えてあげよう

 ぼくの足もとだ

 

 数えてみると

 花びらは四枚 色は濃いオレンジ

 花ことばは知らないけれど

 いつも風にゆれている

 

 そこに

 見えない花が咲いている

 ぼくにだけしか見えない花が咲いている

 

 だから

 さみしくなったら

 ぼくはいつでも帰ってくる

(『見えない花のソネット』)

 

抒情詩は「見えない花」である。完全無欠な「虚」もなければ、完全無欠な「実」もない。

また、抒情詩は視覚的だけでなく、憑依的で、夢想的、意外で不規則なリズムを刻む。

 

 はるがしんだら

 どこにうめればいいのでしょう

 はるがしんだら

 どんなおはかが にあうでしょう?

 はるはじさつか たさつか

 それとも

 びょうしかな

 よってたかって はないちもんめ

(『よってたかって はないちもんめ』)

 

抒情詩は「見るもの」=「聞くもの」ではなく、「見えるもの」=「聞こえるもの」を具現化する。抒情詩は聴覚と視覚に訴える。抒情詩を構成する「旋律」と「映像」に関して、ノースロップ・フライは、『批評の解剖』において、その基本形を「呪文(Charm)」と「謎(Riddle)」と呼んでいる。

 

I heat up, I can't cool down

You got me spinnin'

'Round and 'round

'Round and 'round and 'round it goes

Where it stops nobody knows

 

Every time you call my name

I heat up like a burnin' flame

Burnin' flame full of desire

Kiss me baby, let the fire get higher

 

Abra-abra-cadabra

I want to reach out and grab ya

Abra-abra-cadabra

Abracadabra

 

You make me hot, you make me sigh

You make me laugh, you make me cry

Keep me burnin' for your love

With the touch of a velvet glove

 

Abra-abra-cadabra

I want to reach out and grab ya

Abra-abra-cadabra

Abracadabra

 

I feel the magic in your caress

I feel magic when I touch your dress

Silk and satin, leather and lace

Black panties with an angel's face

 

I see magic in your eyes

I hear the magic in your sighs

Just when I think I'm gonna get away

I hear those words that you always say

 

Abra-abra-cadabra

I want to reach out and grab ya

Abra-abra-cadabra

Abracadabra

 

Every time you call my name

I heat up like a burnin' flame

Burnin' flame full of desire

Kiss me baby, let the fire get higher

 

I heat up, I can't cool down

My situation goes 'round and 'round

I heat up, I can't cool down

My situation goes 'round and 'round

I heat up, I can't cool down

My situation goes 'round and 'round

(Steve Miller Band “Abracadabra”)

 

寺山修司は『ポケットに名言を』というユニークな名言集を発表している。「『名言』は、だれかの書いた台詞であるが、すぐれた俳優は自分のことばを探し出すための出会いが、ドラマツルギーというものだということを知っているのである」(『ポケットに名言を』「改訂新版のためのあとがき」)。「名言」とは「呪文呪語の類」、「複製されたことば、すなわち引用可能な他人の経験」、「行為の句読点として用いられるもの」、「無意識世界への配達人」、「価値および理性の相対化を保証する証文」、「スケープゴートとしての言語」と定義している。「思想家の軌跡など一切無視して、一句だけとり出して、ガムでも噛むように『名言』を噛みしめる。その反復の中で、意味は無化され、理性支配の社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わう」。『ポケットに名言を』の「言葉を友人に持とう」によれば、「言葉は凶器になることも出来る」が、同時に、「言葉は薬でなければならない」し、「思い出」でもある。「ほんとうは、名台詞などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである」(『ポケットに名言を』「暗闇の宝さがし」)。「宝石はいっぱいあるのに わたしはいつまでもひとりだった(『さがす』)。この名言に対する考えは彼の抒情詩が体現している。

 

I am the god of hell f ire and I bring you:

Fire, I'll take you to burn.

Fire, I'll take you to learn.

I'll see you burn!

You fought hard and you saved and learned,

but all of it's going to burn.

And your mind, your tiny mind,

you know you've really been so blind.

Now 's your time burn your mind.

You're falling far too far behind.

Oh no, oh no, oh no, you gonna burn!

Fire, to destroy all you've done.

Fire, to end all you've become.

I'll feel you burn!

You've been living like a little girl,

in the middle of your little world.

And your mind, your tiny mind,

you know you've really been so blind.

Now 's your time burn your mind,

you're falling far too far behind.

(Crazy World Of Arthur Brown “Fire”)

 

花田清輝同様、力石徹の葬儀委員長は、『ポケットに名言を』に、ジュリアン・ソレルが言った「青い種子は太陽の中にある」というスタンダールの『赤と黒』にはないでっちあげの言葉を引用している。監督としてのデビュー作『レザボア・ドッグス(Reservoir Dogs)(一九九一)が林嶺東監督による香港のアクション映画『友は風の彼方に(City on Fire: 龍虎風雲)(一九八六)のコピーだと指摘されたとき、クエンティン・タランティーノは「好きだから盗んだ」と言い放っている。『パルプ・フィクション(Pulp Fiction)(一九九四)の脚本に「旧約聖書エゼキエル書2517節にいい言葉がある。心正しき者の歩む道は心悪しき者の利己と暴虐に阻まれる。……我が復讐がなされる時、汝は我を神だと知るべし」と記して絶賛されている。これはエゼキエル書に部分的にあるだけではなく、千葉真一主演の『ボディーガード牙』(一九七三)のアメリカ公開版に配給会社がつけていた序文の引用でもある。タランティーノの映画は見事な泥棒市場であり、「市場のイドラ」のパロディである。「うそつきな女がいました うそつきな男に恋をしました 空にかかったうそのお月さま かわすことばもうそばかり うそでかざった城に住み うそのしぐさで愛しあい くたびれきってわかれました」(寺山修司『ぼくの作ったマザーグース』)。

「魔法使い、忍術使い、ということばがあるように、ことば使いという不思議な術師もいます。それが、詩人というものです。建築家が、石で城をつくるように、詩人はことばで城をつくる。ここに紹介する詩はぼくのお遊びかも知れません。でも、こんなふうに書きながらたのしむことが出来るのも詩人の特権というものでしょう」(寺山修司『ことばの城』)。「呪文」は「さびしいときの口の運動」(『呪文』)である。「だいせんじがけだらなよさ」は「さみしくなると言ってみる ひとりぼっちのおまじない わかれた人のおもいでを 忘れるためのおまじない」(『だいせんじがけだらなよさ』)である。

抒情詩は、歴史的には、主に聴覚に訴えてきたが、印刷術の発達により視覚を通じて聴覚に働くようになっている。「人間のからだの態度、身振り、そして運動は、単なる機械をおもわせる程度に正比例して笑いを誘うものである」(アンリ・ベルクソン『笑い』)。抒情詩はそこに何が書かれてあるか以上に、どう書かれてあるかが、すなわち印刷された活字自体によって意味を伝達することが、ときとして、重要となる。活字は読むものではなく、見るものであり、と同時に、リズムをとるものである。「本は、あらかじめ在るのではなく、読者の読む行為によって〈成らしめられる〉無名の形態にほかならない」(寺山修司『幻想図書館』)。

 

   みずえ

  一本の楡の木

 恋の本恋の本恋の本

 モーツァルトを聴いた夏

 愛さないの愛せないの愛さな

  いの愛せないの愛さないの?

   ぼくは口笛を吹けなかったんだ

   一羽の蝶も哲学をするだろうか

  いの愛せないの愛さないの?

 愛さないの愛せないの愛さな

 ローランサンを読んだ夏

 恋の本恋の本恋の本

  一本の楡の木

みずえ

(『ハート型の思い出』)

 

             一段目に夏

            二段目にぼく

           三段目にみずえ

          四段目に腰かけて

         五段目で初恋だった

        六段目で何をしたのか

       七段目で神さまが見て他

      八段目でみずえが立上ると

     九段目でぼくは淋しくなった

    十段目で哲学し自省し感傷して

   十一段目で訪れる秋をむかえよう

  十二段目で翼のように両手ひろげて

 十三段目さま人生さまみんなさよなら

(『階段』)

 

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 みずえ みずえ みずえ

 

 消しゴムで一つ消したら

 必ず二つ書いてください

(『黒板』)

 

 こういった詩において、韻律を耳で判断するのは不可能である。このカスケードな抒情詩は視覚的である。この中でも『黒板』は視覚や聴覚を通じてリズムを具現化している。感情は力であるが、その直接的な発散は芸術的表現を損なってしまう。抒情詩は「魂の叫び(cri de coeur)」に基づいてはいない。記憶やイメージが喚起する感情はリズムによって導入・選択・結合され、抒情詩上でその全体像をバッファされる。

 

 いらんなとりがいます

 あおいとり

 あかいとり

 わたりどり

 こまどり むくどり もず つぐみ

 

 でも

 ぼくがいつまでも

 わすれられないのは

 ひとり

 という名のとりです

(『ひとり』)

 

 木という字を一つ書きました

 

 一本じゃかわいそうだから

 

 と思ってもう一本ならべると

 

 林という字になりました

 

 淋しいという字をじっと見ていると

 

 二本の木が

 

 なぜ涙ぐんでいるのか

 

 よくわかる

 

 ほんとに愛しはじめたときにだけ

 

 淋しさが訪れるのです

(『ダイヤモンド』)

 

 爪たい女

 あのひとは

 

 爪寄る 忘却までの一駅

 爪をきる 断章

 爪をみがく 夜霧の石灰倉庫

 爪をかむ 情欲の猫

 爪弾く 古い歌

(『爪』)

 

 愛リス  花の名前。

 恋ル   線。〔動〕ぐるぐる巻く。

 愛スクリーム 〔名〕氷菓子。

 恋ン   〔名〕硬貨。貨幣。金。

 愛アン  〔名〕鉄。鉄器(pl)手かせ足かせ。

 愛イスタイン 人の名前。相対性原理を説いた。

 恋ンサイド〔名〕一致。合致。

 愛シャドウ 日の翳。(美容用語)

 恋タス   辞書をひいてごらん?

(『二人のための英語のお稽古』)

 

サミュエル・テーラー・コールリッジは、『文学評伝』において、「情熱の活動を食いとめようとするあの自然発生的な努力によって生じた心の釣合にまでさかのぼろうとする。(略)この健康な対立作用は、この作用が反対している状態そのものによって援助されている。そして、対立する二者のこうした釣合は、これに意志または判断力が加わることによって、所期の目的である快楽のために意識的に組織されている韻律となる」と指摘している。これは韻律に限ったことではない。感情の組織化におけるリズムの必要性の説明である。抒情詩は、感情の直接的表示に抵抗を加えるため、リズミカルな形式をとる。リズムは変化の中の秩序ある変動である、このリズムに含まれる領域は粗雑なものから洗練されたものまで幅広い。それはたんなる多様性でも、たんなる流動性でもなく、変化する関連の中にある多様性である。リズムの重視により、そこに保守的・調和的傾向を見つけ、感情を表現することへの否定的認識へと論証され、批判されることもある。このリズム形式の選択により、抒情詩の創造には知性が不可欠である。

抒情詩は精神的伝達だけでなく、視覚と聴覚を通じて、身体に訴える。その身体性の追求のため、ふざけた言葉遊びとしてかたづけられてしまうことも少なくないとしても、言葉遊びは決して捨てたものではない。

 

  Haba un perro

  debajo de un carro,

  vino otro perro

  y le mordi el rabo.

 

 これはスペイン語の早口言葉であるが、古今東西、エスニックな歌謡には言葉遊びが見られる。歌舞伎一八番にも早口言葉がある。抒情詩は音楽や映像と密接な関係にあるが、それらに支配されているわけではない。今日のヒップホップにしても、抒情詩の一種である。

 

「海で死んだひとは、みんなかもめになってしまうのです」

 

これはダミアの古いシャンソンの一節です。ダミアの好きだったぼくは、このレコードを大切に持っていました。このレコードの中の水夫の恋の物語を教えてくれたのは、船員酒場に出入りしている娼婦でした。

少年時代、ぼくの持っているレコードは、傷がひとすじついていましたから、ぼくは一度もその曲を聞いたことはなかったのです。

レコードの深い傷がとぎれさせたかもめの物語──そのつづきを空想して書いたのが「かもめ」です。

(寺山修司『かもめ』)

 

詩人は、抒情詩において、ジェームズ・ジョイスの『若き芸術家の肖像』によると、自己との関連によってイメージを示す。この自己は一つではない。フライの『批評の解剖』によると、抒情詩に見られるイメージの具体性と抽象性の融合は必ずしも比喩に依存していない。それは「連想のリズム」である。抒情詩ではリズムが重要な機能を果たし、リズムをもたらす身体によって世界を文節化する文学形式である。二〇世紀前半活躍した「音痴の歌姫」フローレンス・フォスター・ジェンキンス(Florence Foster Jenkins)はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『夜の女王のアリア』を歌ったとしても、既存の音程・リズム・テンポに従属してはいない。まさに身体が歌っている。抒情詩のリズムは連続性と非連続性の二つの要素によって構成されている。リズムを支えるのは本質的には語りであって、声楽とはなじまない。と言うのも、抒情詩は一つの旋律に束縛されることを拒絶するからである。寺山修司は、『男の詩集』の中で、「詩人はなぜ肉声で語らないのだろうか? がみがみ声やふとい声、ときにはささやきや甲高い声で『自分の詩』を読みあげないのはなぜだろうか?」と言っている。リズムが意味に先行し、それに、語呂合わせのごとく、言葉を埋めていく。この場合、そのリズムは息遣いや鼓動といった肉体的なものであり、マザーグースが典型的に見られるように、言葉は戯言にすぎず、意味自体はナンセンスということもある。これは試創作のパロディであろう。有名な詩人の手によるもの以上に、抒情詩は童歌や民謡といった民衆の歌の中にその本質が生きている。民謡には、殺人や姦通、犯罪、戦争といった忌まわしく血なまぐさい素材が欠かせない。そこで社会の無意識が抑圧から自由に連想されている。自由に連想させるという観点から、抒情詩を考える場合、フライはジークムント・フロイトの検閲の理論を参考にすべきだと提案している。抒情詩は夢、すなわち願望の部分的表現、検閲された願望の表現であり、まるでクロスワード・パズルである。夢の潜在内容は顕在内容に形を変えて人に表われている。創造的エネルギーは現実原則によって検閲される。反復作用は催眠術の時計の機能を果たす。語呂合わせは言語的なユーモアのセンスや憑依的効果を感じさせる。前者は覚醒を、後者は催眠を与え、この二項は弁証法的止揚によって抒情詩を構成する。

 古代ギリシアでは、抒情詩は竪琴の伴奏に合わせて歌われたり、朗唱されたりしており、エレジーやオードが古典時代の抒情詩として人気のある形式である。「『抒情詩』というのは、実は様々な型の短詩の総称である。古代には、通常、それぞれの詩形の名で呼ばれていたが、総称される場合にはmelos(メロディーの語源)と呼ばれた。これらの抒情詩は竪琴やアウロスといった楽器の伴奏で歌われた。要するに、当時の抒情詩は『歌』であった」(笠原潔『西洋音楽の歴史』)。古典ギリシア語は、現在のインド=ヨーロッパ語の多くと違い、ストレス・アクセントではなく、ピッチ・アクセントであるため。発話に母音の長短によるリズムを持ち、高低の変化がある。この特性上、作詞は作曲と同一になる。中世においても、抒情詩は吟遊詩人たちによって歌われる文学形式を指していたが、ルネサンスの開始までに、抒情詩は、歌われない韻文にも適用されるようになっている。抒情が「魂の叫び」からほど遠いことは、ルネサンス期の抒情詩の形式──ソネットやバラード、ヴィラネル、セスティーナ──を見れば、明白である。ストレス・アクセントがヨーロッパにおいて主流になり、エリザベス朝期、ダブリン生まれのリューシ奏者で作曲家ジョン・ダウランドは『流れゆく涙』を制作し、芸術的歌曲の創始者となっている。中世の教会建築はおいて生まれたタブローであるが、ルネサンス以前の絵画は鑑賞以外の機能を所有していたけれども、絵画は鑑賞作品としての自立性を獲得した近代のタブローになる。近代歌曲も同様の方向に向かう。近代の抒情詩は、そうした音楽や絵画の傾向に伴い、タブロー化していく。

 

This style seems wild

Wait before you treat me like a stepchild

Let me tell you why they got me on file

'Cause I give you what you lack

Come right and exact

Our status is the saddest

So I care where you at, black

And at home I got a call from Tony Rome

The FBI was tappin' my telephone

I never live alone

I never walk alone

My posses always ready, and they're waitin' in my zone

Although I live the life that of a resident

But I be knowin' the scheme that of the president

Tappin' my phone whose crews abused

I stand accused of doing harm

'Cause I'm louder than a bomb

C'mon C'mon louder etc...

 

I am the rock hard trooper

To the bone, the bone, the bone

Full grown - consider me - stone

Once again and

I say it for you to know

The troop is always ready, I yell `geronimo'

Your CIA, you see I ain't kiddin'

Both King and X they got ridda' both

A story untold, true, but unknown

Professor Griff knows...

"I ain't no toast"

And not the braggin' or boastin' and plus

It ain't no secret why they're tappin' my phone, although

I can't keep it a secret

So I decided to kick it, yo

And yes it weighs a ton

I say it once again

I'm called the enemy - I'll never be a friend

Of those with closed minds, don't know I'm rapid

The way that I rap it

Is makin' 'em tap it, yeah

Never servin 'em well, 'cause I'm an un-Tom

It's no secret at all

Cause I'm louder than a bomb

 

Cold holdin' the load

The burden breakin' the mold

I ain't lyin' denyin', 'cause they're checkin' my code

Am I buggin' 'cause they're buggin' my phone - for information

No tellin' who's sellin' out - power buildin' the nation so...

Joinin' the set, the point blank target

Every brothers inside - so least not, you forget, no

Takin' the blame is not a waste, here taste

A bit of the song so you can never be wrong

Just a bit of advice, 'cause we be payin' the price

'Cause every brother mans life

Is like swingin' the dice, right?

Here it is, once again this is

The brother to brother

The Terminator, the cutter

 

Goin' on an' on - leave alone the grown

Get it straight in '88, an' I'll troop it to demonstrate

The posse always ready - 98 at 98

My posse come quick, because my posse got velocity

Tappin' my phone, they never leave me alone

I'm even lethal when I'm unarmed

'Cause I'm louder than a bomb

 

'Cause the D is for dangerous

You can come and get some of this

I teach and speak

So when its spoke, it's no joke

The voice of choice

The place shakes with bass

Called one for the treble

The rhythm is the rebel

Here's a funky rhyme that they're tappin' on

Just thinkin' I'm breakin' the beats I'm rappin' on

CIA FBI

All they tell us is lies

And when I say it they get alarmed

'Cause I'm louder than a bomb 

(Public Enemy “Louder Than A Bomb”)

 

近代以降の流れに対して、現代の抒情詩は古代ギリシア以来の伝統を再認識している。その特徴に関しては、一九八〇年代以降のポップ・ミュージックが明瞭に示している。MTVによる映像化とラップに見られる言葉のリズムへの音楽の従属化は抒情詩の再発見と言える。同時代的な抒情詩と呼んでいいラップ自身は、一九七〇年代後半にダンス音楽の副産物として出現している。DJは複数のレコードを同時に操作し、音楽の断片をパッチワークしながら、スクラッチ・ノイズをリズミカルに発生させ、ラッパーは略語を用いた歌詞を喋る。コンサートやレコーディングにおいても、バックのミュージシャンやコーラスを追放し、BGMとしてレコード、シンセサイザーやドラム・マシーンといった電子機器、既存の音のデジタル・サンプリングで構成される。コーラスはともかく、多くの楽器を追い出したのは、むしろ、西洋古典への回帰である。近代以前の東アジアでは音楽は器楽曲を意味し、歌曲は低く見られていたのに対し、古代ギリシアから始まる音楽の正統は声楽曲であり、中世の教会の中で器楽曲を演奏すなど言語道断である。教会と言えば、かつて文化放送で『キャスター』という番組が放送されていたが、寺山修司だけではなく、手塚治虫や岡本太郎などレギュラーがすべて故人となってしまっている事情から、その社屋がもともとは教会だったためのたたりだと噂するものもいないわけではない。音の素材としては街路のノイズや伝統的な音楽、話し言葉などが幅広く利用され、強力なビートを持つ柔軟な音楽形式にまとめられる。初期の人気ラップ・チームはランDMCとビースティ・ボーイズであろう。特に、前者は白人のロック・バンドであるエアロスミスの『ウォーク・ディス・ウェイ』をカバーし、ヒップホップのハイブリッド化に成功している。人気を集めたのはMCハマー(現ハマー)やバニラ・アイス、アレステッド・ディベロップメントといったソフトで穏健なアーティストであるけれども、ギャングやドラッグ、犯罪などをテーマにするラップ・アーティストは少なくない。2ライブ・クルーは猥褻容疑で逮捕歴があり、ギャングスター・ラップの開拓者であるNWAやアイス・T、アイス・キューブらはワシントンDC・女性に対する暴力の賛美、涜神、過激思想の扇動によって批判されている。商業主義に異議を申し立てたパブリック・エナミーは強い政治的主張を繰り返し、ア・トライブ・コールド・クウェストはジャズをサンプリングの素材に導入している。また、ラッパーの多くは男性だったが、女優でもあるクイーン・ラティファのような女性ラッパーも登場している。九〇年代後半に入ると、ギャングスター・ラップのトゥパックやノトーリアスB.I.G.らが相次いで殺害される一方で、フージーズ、パフ・ダディ、エミネムといったポップなラップが人気を得ている。一九八〇年代後半以降人気がニューヨーク以外にも広がり、九〇年代にはアメリカのポピュラー音楽のメインストリームの一つに躍り出る。さらに、その影響は世界各地に及び、アフリカ、中南米、アジア、中東、ヨーロッパにも同じような音楽やファッションが定着している。これは音楽の普遍性ではなく、いかなる言語にも言葉遊びがあるように、言葉のリズムというものの汎用性を意味している。ラップは現代の民謡である。そのため、ラッパーは、ピジンやクレオール、ハイブリッドな言語を用いることも少なくない。アルジェリアのラップ・グループのアンテティク(Intik)はアルジェリア・アンミーヤのアラビア語にフランス語をミックスしている。

ところが、谷川俊太郎は、『朝のかたち』の「あとがき」において、詩作について次のように述べている。

 

ただひとつの書きかたを、年を重ねるにつれて辛抱強く成長、変化させてゆく、そういう書きかたに憧れながら、自分にはそれができないと自覚するようになったのは、この詩集に収められた作品を書くようになってからである。詩史、文学史というようなものに無関心で書き始めた私は、自分の書くものの縦のつらなりよりも、むしろ横のひろがりのほうに関心がある。

後世をまつという気持ちは私にはなく、私はもっぱら同時代に受けたい一心で書いて きた。それも詩人仲間だけでなく、赤んぼうから年よりまで、日本語を母語とする人々すべてにおもしろがってもらえるような詩を書こうとしてきた。私にあるのは、ひどく性急な野心の如きものだろうか。だが、その野心を支えたのは、私自身ではない。私をはるかに超えた日本語の深さ、豊かさなのだ。

 

 これは排他的・閉鎖的な言語所有主義である。谷川俊太郎の作品には自己嫌悪と自己憐憫に溢れ、「愛するものを憎み、憎んでいるものを愛する」(ボリス・パステルナーク)。谷川は、その活動範囲といい、父との対立といい、北原白秋に似ている。谷川を理解するには北原白秋を通じることが不可欠である。谷川は北原白秋の系譜上にある。「詩において、私が本当に問題にしているのは、必ずしも詩ではないのだという一見奇妙な確信を、私はずっと持ち続けてきた。私にとって本当に問題なのは、生と言葉との関係なのだ。(略)私も、自分自身を生きのびさせるために、言葉を探す。私には、その言葉は、詩でなくともいい。それが呪文であれ、散文であれ、罵詈雑言であれ、掛声であれ、時には沈黙であってもいい。もし遂に言葉に絶望せざるを得ないなら、私はデッサンの勉強を始めるだろう。念のためにいうが、私は決してけちな自己表現のために、言葉を探すのではない。人々との唯一のつながりの途として言葉を探すのである」(谷川俊太郎『私にとって必要な逸脱』)。

 「人々との唯一のつながりの途として言葉を探す」という書き手による作品は次のようなものにならざるを得ない。

 

あの青い空の波の音が聞えるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきまったらしい

 

透明な過去の駅で

遺失物係の前に立つたら

僕は余計に悲しくなってしまった

 

 これは谷川俊太郎の初期の代表的な詩『かなしみ』である。谷川は「悲しくなってしまった」と書いてしまっている。『かなしみ』というタイトルをつけておきながら、字句としてそれを記している。氷山の一角だけを書き、残りはイメージさせるようにするのが詩だろう。

ポール・サイモンは、’Love’を一切使わないで、Kathy’s Songという次のような完璧なラブ・ソングを書いている。

 

I hear the drizzle of the rain

Like a memory it falls

Soft and warm continuing

Tapping on my roof and walls.

 

And from the shelter of my mind

Through the window of my eyes

I gaze beyond the rain-drenched streets

To England where my heart lies.

 

My mind's distracted and diffused

My thoughts are many miles away

They lie with you when you're asleep

And kiss you when you start your day.

 

And as a song I was writing is left undone

I don't know why I spend my time

Writing songs I can't believe

With words that tear and strain to rhyme.

 

And so you see I have come to doubt

All that I once held as true

I stand alone without beliefs

The only truth I know is you.

 

And as I watch the drops of rain

Weave their weary paths and die

I know that I am like the rain

There but for the grace of you go I.

 

こうした本質的な欠陥は別にこの作品に限ったものではなく、谷川の作品に一貫して見られる。谷川は『沈黙』という詩で「黙ったまま」とか「黙っていれば」と、このような言葉を書かぬことが何よりも沈黙をイメージさせるにもかかわらず、書いてしまう。谷川は詩人と言うよりも、コピーライターであろう。平野謙は、対談『戦後文学二十五年』の中で、「昭和文学の特徴はみな資質に反しているといえないこともない」と発言し、「横光利一など資質に反した一典型だと思う。資質に反してああいう新感覚派的な仕事をずっとしてきた。だからこそ彼はなんといっても昭和文学の代表的作家なんですよ」と言っているが、谷川もその意味で「昭和文学の代表的作家」である。

 

 この世で一番みじかい愛の詩は

 

   愛

 

 と一字書くだけです

 この世で一番ながい愛の詩は

 同じ字を百万回書くことです

 書き終らないうちに年老いてしまったとしても

 それは詩のせいじゃありません

 

 人生はいつでも

 詩より少しみじかい

 のですから

(寺山修司『みじかい恋の長い唄』)

 

谷川俊太郎に対して、寺山修司は、同じタイトルの『かなしみ』を次のように書いている。

 

私の書く詩のなかには

いつも家がある

 

だが私は

ほんとは家なき子

 

私の書く詩のなかには

いつも女がいる

 

だが私は

ほんとはひとりぼっち

 

私の書く詩のなかには

小鳥が数羽

 

だが私は

ほんとは思い出がきらいなのだ

 

一篇の詩の

内と外にしめ出されて

 

私は

だまって海を見ている

 

寺山修司の『かなしみ』のほうが、谷川の『かなしみ』と比べて、はるかにそれをイメージさせる。『かなしみ』だけでなく、寺山修司の他の詩においても、こうしたタイトルと表現の関係が維持されている。寺山修司は、「一篇の詩」において、「かなしみ」を直接的に表現することはない。「詩」と「ほんと」の間、「一篇の詩の内と外にしめ出され」ていることが「かなしみ」をイメージさせる。寺山修司は、この「詩」の「内と外」からも、追放され、決定不能性に置かれている。彼にはただ「だまって海を見ている」ほかない。彼の「書く詩のなかには」、「だまって海を見ている」とあるが、「ほんとは」どうなのかはわかない。寺山修司の居場所はこの「一篇の詩の内と外」にすらもない。「かなしみ」はこの「詩」によっても完全に癒されることはない。この「詩」を通じて、ただ「かなしみ」というものだけが浮かびあがる。

 

なみだばかり見ていて

彼の目を見落としてしまう ように

彼の目ばかり見ていて

彼の全身を見落としてしまう ように

 

彼の全身ばかり見ていて

彼の祖国を見落としてしまう ように

彼の祖国ばかり見ていて

彼の世界を見落としてしまう ように

 

彼の世界ばかり見ていて

彼の一日を見落としてしまう ように

彼の一日ばかり見ていて

彼の悲しみを見落としてしまう ように

 

彼の悲しみばかり見ていて

なみだを見落としてしまうのだ

それを詩に書きとどめようとする間にも

歴史が老い急ぐのはなぜか?

(寺山修司『全身』)

 

寺山修司は、『幸福論−裏町人生版−』において、『走れメロス』を例にとって太宰治の作品を「饒舌の文学」と次のように考察しているが、「太宰」を「谷川」、「シラー」を「寺山」、「幸福」を「かなしみ」に入れ替えるとそのまま谷川俊太郎批判になる。

 

シラーの書いたもっとも美しい「友情論」の叙事詩「走れ、(ママ)メロス」が、太宰治の手にかかって、たちまち書斎型の心情につくりかえられてしまった。死刑囚のメロスが、遠い故郷から、自分の死刑執行に間にあうように全力で野を越え、山を越えて走ってくる。それは自分の死刑のためではなく、身替りに牢に入っている石工のセリヌンティウスの信頼のためである。

メロスは、セリヌンティウスの命をかけた友情に応えようとして、力のかぎり刑場へかけこみ、あわや身替りの断頭台にのせられようとしているセリヌンティウスの、死刑執行の前に帰ってくることができる。

そこでシラーの叙事詩では、二人は顔を見あわせて、微笑しあって終っている。「微笑」のうちにかみしめられる、幸福といったものは、とても文字になるものではないし、言葉にしたとたんに、情念の「解説」に堕してしまうことが、シラーにはわかっていたのである。

ところが太宰治は、それに「弁解」を書きこむ。セリヌンティウスは

「メロス、俺を殴ってくれ。俺はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生まれてはじめて君を疑ったのだ。

もしかして、帰ってこないつもりだったのではないか、と。

だから、君が俺を殴ってくれなければ、俺は君を抱擁できない」

すると、メロスもあやまる。

「やはり、この三日の間、たった一度だけセリヌンティウスを疑ったのだ」と。

それから二人は、お互いを殴りあってから泣いて抱擁する。−−この饒舌は、幸福を情緒的に解消してしまっている。それは一個の生きた太古の生物のように存在していた二人の共有の「沈黙」をお互いが取りのぞいて、幸福の思想化をさまたげてしまっている光景である。

 

 谷川俊太郎にしろ、太宰治にしろ、「弁解」の文学が受容されているのに、不当な扱いを受けているが、寺山修司は、日本近代文学史上、最高の抒情詩人の一人である。

 

 水になにを書きのこすことが

 できるだろうか

 たぶんなにを書いても

 すぐ消えてしまうことだろう

 

 だが

 私は水に書く詩人である

 私は水に愛を書く

 

 たとえ

 水にかいた詩が消えてしまっても

 海に来るたびに

 愛を思い出せるように

(寺山修司『海が好きだったら』)

 

 森毅は、『プレイバック文学青年』において、文学を「頭のオシャレ」だと次のように述べている。

 

なぜぼくは文学を好んだかというと、それは頭のオシャレだったような気がする。人生を考えたり、社会を考えたりするためではない。文章の表現に楽しさを感ずることもあった。文体のリズムに心の拍動を合わせていることもあった。そうして得ていたのは、その文学がひとつの劇場を作って、その世界に遊ぶのを楽しむことだ。

あとで難しく考えなおしてみれば、そこで得られたものは、その作品世界の時間感覚や空間感覚の体験だったかもしれない。展覧会や音楽会へ行くように、そしてそんなにわざわざ出かける面倒なしに、本の中の世界を楽しんでおれる。

もともとぼくは、人生派や社会派は苦手である。ストーリーの展開だって、どうでもいい。その世界感覚を楽しめればいい。それがぼくにとっての文学である。

そして、それはぼくの心をひろげることで、直接的にではなく、心の働きをゆたかにしたことだろう。それは「芸術」というほどでなく、オシャレ感覚にすぎないにしても。

 

 寺山修司の抒情詩は「その世界感覚を楽しめればいい」ものであり、「心の働きをゆたか」にするのである。彼はオルタナティブを志向するラッパーである。寺山修司は、エーリッヒ・ケストナーにならって、『人生処方詩集』を「人生の傷口の治療に役立てたい」から書いたと記している。抒情詩は「薬にたよらずに、詩によって心の病気を治療する」ための「心の病のための処方箋」である。だが、それには「ふざけてみること」が不可欠である。

 

 すきなひとを

 指さしたら

 ひとさし指から花がさいた

 

 きらいなひとを

 指さしたら

 ひとさし指が灰になった

 

 ところですきなひとのことを書いたら

 鉛筆から花が咲くのでしょうか

 

 きらいなひとのことを書いたら

 鉛筆は灰になるでしょうか

(『恋のわらべ唄』)

 

 セーヌ川岸の

 手まわしオルガンの老人を

 忘れてしまいたい

 

 青麦畑でかわした

 はじめてのくちづけを

 忘れてしまいたい

 

 パスポートにはさんでおいた

 四つ葉のクローバ

 希望の旅を忘れてしまいたい

 

 アムステルダムのホテル

 カーテンからさしこむ

 朝の光を忘れてしまいたい

 

 はじめての愛だったから

 おまえのことを

 忘れてしまいたい

 

 みんなまとめて

 いますぐ

 思い出すために

(『思い出すために』)

 

 鉛筆が愛と書くと

 消しゴムがそれを消しました

 あとには何も残らなかった

 ところで 消された愛は存在しなかったのかといえば

 そうではありません

 消された愛だけが 思い出になるのです

(『消す』)

 

男の子:どうしたんだ? 浮かぬ顔して。

女の子:あなたとのこと思い出したいの。

男の子:思い出したらいいじゃないか。

女の子:だって……。

男の子:だって?

女の子:忘れないものは、思い出せないでしょ。

男の子:なるほど。

女の子:思い出なんて、気まぐれなものね。

思い出す人って、きっとうつり気な心の持ち主だと思う。

(『恋愛論』)

 

 生きている間に、人間が行うべき精神活動は二つしかない。それは忘却することと想起することである。『田園に死す』においてでさえ、すでに「自分の原体験を、立ちどまって反芻してみることで、私が一体どこから来て、どこへ行こうとしているのかを考えてみること」と記している。反芻せよ!「(のち)の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い(わけ)とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余も過去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を(むさぼ)って居る事が多い。そんな訣から一寸物に書いて置こうかという気になったのである」(伊藤左千夫『野菊の墓』)。「あたしはあなたの病気です」(寺山修司『疫病流行記』)。

 

Yo man there's alot of brothers out there

flakin and perpatratin who scared to kick reality.

Yo Dre you been doin all this dope producin',

you ain't had a chance to show 'em what time it is!

So watchu want me to do...?

 

All you got to do now, express yourself!

I expressin with my full capabilities,

Now im livin in correctional facilities,

Coz some don't agree wit how i do dis,

I get straight, and meditate, like a Buddhist,

Im droppin flavour, my behaviour is hereditary,

And my technique is very necessary,

Blame it on Ice Cube, because he said It get funky!

When you got a subject and a predicate

Add it on a dope beat, and it'll make ya think,

Some suckers just tickle me pink, to my stomach,

Cause they don't flow like this one,

You know what, I won't hesitate to dis one or two before i'm through,

So don't try to sing this,

Some drop science, well i'm droppin english!

Even if Yella, makes it acapella

I still express, yo I don't smoke weed or cess!

Cause its known to give a brother brain damage,

And brain damage on the mic don't manage nuttin'

But makin a sucker and you equal,

Don't be another sequel!

 

Express Yourself!

Do it do...

Express Yourself!

Oh do it!

 

Ice Cube, is not for the pop charts!

So where should a brother like you start expressin yourself?

My boy'll show you how! Yo Dre

Watup?

Drop English right about now!!

Gettin back to the PG,

That's Program, and it's easy!

Dre is back, New Jacks are made hollow,

Expressin' niggers subject because they like to follow the words,

The style, the trend, the records i spin,

Again and again and again,

Yo yall on the other end!

Watch a brother bringin' dope rhymes, with no help,

There's no fessin' or guessin' when i'm expressin myself!

It's crazy to see people be what society wants 'em to be,

But not me!

Ruthless, is the way togo, they know,

Others say rhymes that fail to be original,

Or they kill where the hip-hop starts,

Forget about the ghetto, and rap for the pop charts!

And those musicians, that cuss at home,

But scared to use profanity, when up on the microphone,

Yeh they want reality, but chu won't hear none,

They rather exaggerate a little fiction!

Some say no to drugs, and take a stand,

But after the show they go lookin for the Dopeman!

Oh they ban my group from the radio, 'here, NWA',

They say 'Hell no!'

But chu know it ain't all about wealth,

As long as you make a note to, express yourself!

 

Express Yourself!

Do it do...

Express Yourself!

Oh do it!

 

A lyricist, yo Dre is the name for it,

To make somethin' dope on a record that's what he came for,

Kickin' reality over stand us up,

But it's important to keep it in mind to Express Yourself!!

From the heart if you wanna start and move up the chart then

expression is big part of it.

You ain't efficient when you flow, you ain't swift,

Movin' like a tortise, full o' rigor mortis!

There's a little bit more to show,

I got rhymes in my mind, embedded like a embryo.

A lesson, all bout expression,

And if you start fessin, i got a smith n weston for ya!

I might ignore you're record, because it has no bottom,

I get loose in the summer, winter, spring and autumn.

It's Dre on the mic gettin physical,

Doin the job, NWA is the lynch mob!

Yes i'm macabre, but chu know you need this,

And the night i just gone, just like a fetus,

Or tumor, heres the rumour, Dre's in the neighbourhood and he's up to no good!

When i start expressin myself, Yella slam me,

Cause if i stay funky like dis, I'm doin damage!

Or I'ma be too hype, and need a straightjacket,

I got knowledge, and other suckers lack it,

So when you see Dre, a DJ on the mic,

Ask what it's like, it's like we gettin hype tonight!

Cause if i strike, It ain't for your good health,

But i won't strike if you just Express Yourself!

 

Express Yourself!

Do it do...

Express Yourself!

Oh do it!

(N.W.A. “Express Yourself”)

 

 寺山修司は、『さかさま世界史英雄伝』において、クリストファー・コロンブスから始まりライナー・マリア・リルケまで古今東西の二三人の「英雄」を批評している。全編を通じて、アル・ヤンコヴィックのパロディ・ソングさながらに、諷刺とユーモアが溢れている。「ゲーテ」では、ウエルテルの人生相談に答え、「紫式部」においては、『源氏物語』の女主人公を現代にあてはめるシミュレーションを行っている。世界史に輝く偉大な英雄たちは、寺山修司の手によって、滑稽な道化と化す。寺山修司は卑近な視点から彼らを批評するが、それは軽蔑しているからではない。彼は賀川豊彦や内村鑑三が描いてきたキリストを「感傷的で繊細すぎる」と拒否する。「ユダヤ小市民を軽蔑し、革命児たらんとした大工の倅で、娼婦、漁師、兵隊、前科者を集めて、家族制度の破壊を説き、放浪とフーテンの日日をおくっていたキリストは、メガネをかけたオールドミスたちの心の中のキリストさまとはべつの、やくざな、性的魅力のあふれた男っぽい男だった」と描く。と言うのも、「キリストも、聖書の中に閉じこめられて、オールド・ミスたちの生甲斐となるよりは、血わき肉おどる歴史書の中の一人物として扱われる方が、親しめるのではあるまいか」。寺山修司は英雄を歴史における権威とさせるのではなく、生き生きとした同時代人として扱っている。寺山修司のレトリックは読む者の思考に活気を与える。この本は椅子に腰掛けて、机に向かい、集中して読むよりも、ゴロゴロと寝そべりながら、その不真面目なトーンを笑って読む方がふさわしい。そうした方が、寺山修司自身に対しても、「親しめるのではあるまいか」。Κατι θα γινει.

そんな寺山修司の抒情詩は文学のスキャット、スクラッチ・ノイズである。言葉は無意味であってもかまわない。言葉には、ときとして、意味以上に重要な機能がある。その響きやリズムがここちよければいい。一種のアート・ドーピングである。

抒情詩以外でも、『巨人伝』や『ほらふき男爵』などでは、論旨をぶちこわしにするようなギャグや本筋とはまったく関係のない記述が挿入されたり、ただ思いついただけのナンセンスな言葉が発せられていたり、ゴチャゴチャと勝手な文章が割りこんでいたりする。この語り手はやりたい放題でも手に負えない。「漫画は落書精神から発するというが、近ごろは、落書のような楽しい子供漫画が少なくなった。ぼくは、シリアスで深刻な話を描いていて、フッと自分で照れたときに、童心にかえるつもりで、このヒョウタンツギを出してみるのだ。最近、これすらも、『邪魔だから、こんなものは止めてください』と投書してくる子供が多くなってきたのには、ぼくはなんとなくさみしい気がする」(手塚治虫『ぼくはマンガ家』)。この遊びは言葉の持つ記号的性質を利用したものである。記号である以上、模倣の傾向がある。模倣は一つの意欲である。エノケンは「ベアトリネーチャン」ともじって歌っていたが、寺山修司なら、「ヘヤトナリネーチャン」とするだろう。天国へ案内する神聖なるダンテの恋人ベアトリーチェは今や『PLAYBOY』誌を飾るネクスト・ドアー・ガールというわけだ。

 こうした遊びを導入しつつ、「大人になった今 愛の修理を引き受ける大工になりたい と思いながら」(『愛の大工─心の修理をします』)と告げる寺山修司は、抒情詩において、最も多く愛を描いている。「マリアよ、われを救うことなかれ」(コドルス・ウルツェウス)。感情だけに訴えない抒情詩によって、愛はたんなる感情の発露から、温かな笑いを含むやさしいものになる。愛は抒情詩をとることによって、精神だけでなく、身体にも訴える。抒情詩が明らかにすることは、愛は歌うものではなく、語りかけ、囁く。

 

さよならをしようと

手をあげたら

林檎の木の枝にさわった

 

枝を手折ってやり場なく

その花の白さを見つめているうちに

 

きみの汽車は

もういない……

(『愛する』)

 

夜更け

二階のどこかを おまえが歩く

その足音が こだまする

ぼくはその下で

本を読んでいる

戸外は風が吹いている

もうすぐ 秋が来るだろう

 

夜更け

二階のどこかを おまえが歩く

その足音が こだまする

ぼくは本を閉じる

家のなかで

ただ意味もなく足音が

二人を ひびきあわせている

(『愛について』)

 

半分愛してください

のこりの半分で

だまって海を見ていたいのです

 

半分愛してください

のこりの半分で

人生を考えてみたいのです

(『半分愛して』)

 

 「結婚は二度と考えられない。この私を夫にしようというよう頓馬な女性では、私は満足できないからね」(エイブラハム・リンカーン)

 

私は、光太郎の実生活を否定した芸術史上主義がわるいと言うのではない。たった一人の妻もだましつづけることができずに、百万の鑑賞者をだませる訳はないと言いたいのである。

実際、光太郎の彫刻も詩も、私の心をとらえることはない。光太郎は、粘土の彫刻の女人像にも、心があるのだということを知らない人間音痴の男だったからである。

 

 張り切った女の胸にぐさと刃を通して迸り出る其の血を飲みたい

 

と、書く光太郎と、西日のさす台所で二人分の葱を刻む智恵子、と。

一体、狂っていたのはどっちだったのであろうか?

(寺山修司『黒髪篇』)

 

 寺山修司は、『流れ星のノート』において、「傷ついた果実たち」に向けた詩を書ける人について次のように述べている。

 

 果物屋の店先には、かならず傷のついたリンゴがまじっています

 同じ一房の葡萄の中にも 一粒か二粒の痛んだものがかならずある。

 人生も同じことです

 同じ日に同じ町で生まれても

 すべて順調にいく人と 何をやってもうまくいかない人とがある

 ここにおさめた傷ついた果実たちを

 運が悪かったと言うのは、 当たっていないでしょう

 彼女たちは より深く人生を見つめ

 その裏側にあるものまで見てしまったのです

 そして

 そんな詩を書ける人こそ

 ほんとの友だちになれる人ではなかろうか

 

 「沈黙は決して傷つかない。沈黙は決して負けない。われわれは皆いつか沈黙に帰り、そこに安らぐであろう。それまでの生きている間、しかしわれわれは勇敢にそれと戦わねばならない」と『沈黙のまわり』で書く谷川俊太郎と違い、寺山は「傷ついた果実たち」に向けて詩を書く。と言うのも、その人たちは「より深く人生を見つめ」、「その裏側にあるものまで」見てしまったからである。「ただ、彼らだけが彼ら自身と、彼ら自身に似たものを理解するのだ。ちょうど霊魂が、霊魂だけを理解するように」(ウォルド・ホイットマン)。

 

 涙の数だけ しあわせがくるって 本当かな

 あたし 涙が でるけど

 しあわせは まだきてないよ

 涙の数だけ しあわせがきたら

どうしようか 迷うよな

(柳田愛『涙の数だけ』)

 

 「美しい女とは、美しい女になろうとする女のことである」(寺山『少年時代の私には眠り姫がなぜ美しいのか謎であった』)。寺山修司は、『血と麦』のころでさえ、「様式」を素朴に信じすぎていたと『空には本』を自己批判し、「私個人が不在であることによって大きな『私』が感じられるというのではなしに、私の体験があって尚私を越えるもの、個人体験を越える一つの力が望ましい」と告げている。「『私は私の上に、私自身があるよりももっと高い、もっと人間的なものを見る。それに到達するように、みんな私を助けてくれ、私の方も同じものを認識し同じものに悩むあらゆる人を助けて上げたい。認識においても愛においても、直観においても能力においても自己を完全で無限だと感じ、事物の審判者であり、その価値測定者としての自己の全体を挙げて自然に固着し、自然のうちに存在するような人間がついに再び現われ出るために』。誰かをこのようなもの怖じせぬ自己認識の状態に置くことは困難である。なぜなら愛を教えることは不可能だからだ。けだし、愛においてのみ、魂は自己自身に対する明晰な、自己を分析し蔑視する眼差しを獲得するのみならず、自己を越え出て直観し、どこかにまだ隠されているより高い自己を全力を挙げて求めんとする熱望をも獲得するのである」(フリードリヒ・ニーチェ『反時代的考察』』)

 

Why must I be so lonely?

When so many people pass me by

I've been waiting for oh so long now

And yet I'm unable to answer why

I can't be made to give up now

Can you find room for me

in your heart somehow?

I wanna be loved

I just wanna be loved

 

I guess I'm a victim of loneliness

But why should this be my destiny?

A foolish man for a lot of my life

Shouldn't there be someone

Someone for me?

I hope and I pray some happy day

That I'll be around to hear you say

I wanna be loved

I just wanna be loved

(Elvis Costello “I Wanna Be Loved”)

 

ヒップホップにしても、「傷ついた果実たち」から生まれている。ヒップホップにはラップ文化の周辺も含まれる。ヒップポップ(Hip-hop)は、一九七〇年代後半から八〇年代初頭のニューヨークのサウス・ブロンクスのアフロ・アメリカンたちの間で生まれた文化の総称である。ラップやブレーク・ダンス、フード付きのスウェット・パーカーやキャップ、スニーカーといったファッション、地下鉄車両や壁にスプレーを使って巨大な絵を描くグラフィティなどを指す。一九六〇年代の公民権運動以降、アフロ・アメリカンの中産階級化が進むと同時に、サウス・ブロンクスのような都市中心部の生活環境は、むしろ、悪化している。若年層の失業率が高く、ストリート・ギャングの抗争やドラッグの密売、生活保護を受けるシングル・マザーの増加といった状況に対し、アフリカ・バンバータは、七五年にブロンクスに「ズールー・ネーション(Zulu Nation)」という組織を結成する。この更正した元ストリート・ギャングは、ドラッグや抗争の代わりにラップやダンスを若者たちに推奨している。ヒップホップは教育の機能を果たしていたのである。彼はドラム・マシーンを使ったエレクトロ・ビートを導入し、八四年にジェームス・ブラウンと『Unity』で共演して、ラップとファンクを融合した新たなヒップホップ音楽を提示している。ヒップホップの誕生には、ジャズやロックの形成にラテン・アメリカ文化が関わっているように、一九三〇年代からサウス・ブロンクスに多く住むカリブ海出身者の影響が大きい。最初のヒップホップDJと見られているクール・ハークはダンス・パーティーのDJを始めた際、ジャマイカのDJを真似てレコードをかけながら、ファンに語りかけている。また、このジャマイカンは、二台のターンテーブルと二枚の同じレコードを用いて、「ブレーク・ビーツ」と呼ばれる演奏部分だけをつないで、客を踊らせる手法も考案している。他にも、グランドマスター・フラッシュもバルバドス出身の父親のカリブ海音楽のコレクションを聞いて育ち、グランドマスター・フラッシュ&フューリアス・ファイブが一九八二年に発表した『ザ・メッセージ』はブロンクスの劣悪な状況をラップで語り、ラップ・ファン以外から注目された最初の大ヒットである。ブレークの頭文字をとって「B・ボーイ」や「B・ガール」と呼ばれるファンの若者の間から、今ではWWEの看板レスラーのブッカー・T(ブッカー・TMG5のブッカー・T・ジョーンズとは別人)でお馴染みだが、逆立ちして頭で回転するようなブレーク・ダンスが生まれる。ダンスの激しい動きに対応できるゆったりした衣服がヒップホップ・ファッションとなる。また、ストリート・ギャングの縄張りのマーキングから始まった落書きにはアート化し、キース・ヘリングもとり入れるまでに至る。『ワイルド・スタイル(Wild Style)(一九八二)や『ボーイズン・ザ・フッド(Boyzn the Hood)(一九九一)、『8Mile(8 Mile)(二〇〇二)を代表に、ヒップホップ・カルチャーを描いた映画も次々に公開されている。NBAにラップはよく似合う。このヒップホップ現象は、先に述べた通り、「ミュージック(Music)」の本質を顕在化させている。Musicの語源である古典ギリシア語の’η μουσικηは今日の音楽だけでなく、舞踏や詩、演劇、天文学などを含む広い概念である。「天文学とは 恋愛論の もうひとつの呼び名なのです」(寺山修司『愛の天文学』)。

「でも本当にためになるものというのは、自分自身を見つめることからのみ得られるのだろうと思います。ですから教師にできる最良のことは、それをそっとしておいてやることでしょう。ただいくつかの質問を投げかけて、自分の演奏には疑問の余地があるのだということ、そしてその解答は自分で見つけなければならないということを自覚させるのです。教師にできるのは質問することなのです」(グレン・グールド『グレン・グールド ピアノを語る』)。

  

Tamino: Sag mir, du lustiger Freund, wer du seyst?

Parageno: Wer ich bin? (für sich) Dumme Frage! (laut) Ein Mensch, wie du. - Wenn ich dich nun fragte, wer du bist? -

(Wolfgang Amadeus Mozart “Die Zauberflöte” Erster Aufzung Zweiter Auftritt)

 

 寺山は、『二十歳』において、「質問」になりたいと次のように書いている。

 

わたしはただ

「質問」になりたいと思っていたのです。

いつでも、なぜ? と問うことの出来る質問。

決して年老いることのない、

そのみずみずしい問いかけに……

 

 寺山はここで「何?」ではなく、「なぜ?」という質問をあげている。「なぜ?」は子供が大人に対して発する問いである。子供は大いなる「生成の無垢」(ニーチェ)にほかならない。「ぼくは『ある』というのが現実の用語で、『なる』というのが演劇の用語だと思っている」(『ツリーと構成力』)。寺山修司にとって、重要なのは存在ではなく、生成である。

 

 海の中に小さなもうひとつの海があるように

 本の中に小さなもうひとつの本があるのは

 たのしいものです

 

 しかも その本には不思議な絵がたくさんあって

 あなたを待っている

 

 もんだいは

 あなたの中に小さなもう一人のあなたがいるかどうか

 ということだけです

(寺山修司『もんだいは』)

 

「言葉に絶望せざるを得ないなら」、谷川俊太郎と違い、寺山修司が「デッサンの勉強を始める」ことはありえない。

寺山修司は、『海では飛べない』において、詩作について次のように述べている。

 

 そうです 海では飛べません

 それなのに 海で飛ぼうとして

 びしょぬれになっている悲しい鳥

 

 一篇の詩を書くということは

 そうした不可能性に賭けてみることなのだ

 ということができるでしょう

 

彼ならば、「言葉に絶望」すればするほど、人々がハルウララにそうするように、「生成の無垢」としてすべてを忘却し、全力で、言葉に「賭け」てみる。寺山修司の文庫本のカバー・デザインをマンガ『赤色エレジー』の作者である林静一が担当している。アメリカの安酒場で行われていたハンマーに画鋲を打って奏でられるハープシコード風の音を思い起こさせるように、あがた森魚が「幸子の幸はどこにある」と歌ったあの『赤色エレジー』である。林静一は大正期の少女雑誌風のイラストを描く。大衆文化の謳歌した大正は抒情的芸術が隆盛している。寺山修司が「少女」雑誌に関心をよせていたように、それは大正の終わりから昭和の初めにかけて発売されている。古屋信子が『花物語』に描かれ、西篠八十が詩に書き、繊細で、感傷的で、閉鎖的な審美主義者を倒錯的に神話の世界として好んでいる。神の死後、新たな価値を創造できるのは「少女」である。歴史的に蓄積されてきた女に対する認識を哄笑できる少女がすぐそこにいる。それはパンドラである。ルイーズ・ブルックスはGW・ハフスト監督の『パンドラの箱( The Box of Pandora: Die Buchse der Pandora)(一九二九)の主演にふさわしい。この世の矛盾や苦悩、病気、嫉妬、怨恨、復讐は彼女の悪ふざけである。神の死は決定不能に置かれる。寺山修司はリュック・ベッソン監督の『レオン(Leon The Professional)(一九九四)のレオンであろう。マチルダはパンドラの化身である。パンドラが謝れば、許すし、何度繰り返しても、文句は言わない。パンドラは希望を与えるからである。「絶望」から文学を寺山修司は始める。”Don’ t be so serious! Don’t be so rigorous!”(Melon ”Serous Japanese”)

寺山修司は、実際に、確実さへの抗いから、賭けに関して数多くの作品を残しているが、賭けの理論もルネサンスに登場している。ルネサンス期にタルタリアことニコロ・フォンターナとジェロラーモ・カルダーノが賭博について鋭い分析を行っている。もっとも、彼らの仕事は、数学者にとってはゲーム的すぎ、ギャンブラーにとっては数学的すぎたため、省みられることはなく、その後、一七世紀に、ジャバリエ・ド・メレやブレーズ・パスカル、ピエール・ド・フェルマらが本格的に確率論を手がけるようになる。

 

 あなたは一人しかいないのにあたしには目が二つある

 もう一つの目は何を見たらいいのでしょう?

 

 あたしには目が二つしかないのに空には星が無数にある

 かぞえのこした星はだれがかぞえてくれるのでしょう?

(『少女から神さまへの?マークつきのお手紙』)

 

目はいつも二つある 一つはおまえを見るために もう一つはぼく自身を見るために

(『目』)

 

二からはなにも引くことはない 二人で旅をつづけてゆこう それがぼくらの恋の唄

(『引き算』)

 

たし算は 愛の学問です。

(『たし算』)

 

数学と抒情詩や諷刺は必ずしも遠くない。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や抒情詩はよく知られているけれども、他にも、エドウィン・A・アボットは、一八八四年、社会批判の数学ファンタジーの傑作『多次元★平面国―ペチャンコ世界の住人たち(Flatland)』を書いている。平面世界において、人間は多角形である。ビクトリア朝の人々と同様、高い地位を獲得するのに躍起になっているが、地位は辺の数によって決まる。紳士は四、貴族は多数、労働者は三、女性は一である。主人公「正方形」は五〇〇年に一度平面世界に出現する「球」と友達になり、「球」に連れられて、異次元世界の「点世界」や「線世界」、「立体世界」を案内される。平面世界に戻った「正方形」は友人たちに体験してきたものを説明しようとするが、「空間」を実際に示すことができない。彼らはそんな「正方形」が発狂してものと思ってしまう。

寺山修司は抒情を透明さによって表現する。透明は無媒介ではない。透明という媒介性を寺山修司は提起している。透明はある対象との距離があって初めて意識されるのであり、対象との距離感の把握が必要である。透明は私と対象との距離が見えてしまうために、遠さを感じさせる。「正方形」同様、私は孤独に置かれていると意識し、抒情はここに生まれる。距離感がまったく感じられていないときに、抒情は発生しない。

 バラードと言うよりも、ミディアム・テンポの寺山修司の抒情詩を歌えるのは由紀さおりである。あのさりげない透明感はまさにふさわしい。

 

死んでもあなたと

暮らしていたいと

今日までつとめた

この私だけど

談志にもらった 名前を捨てて

二人で書いた

この絵燃やしましょう

 

どこが悪いのか 今もわからない

だれのせいなのか

今もわからない

涙で綴りかけた お別れの手紙

 

出来るものならば

許されるのなら

もう一度生まれて

やり直したい

楽屋に飾った レースをはずし

二人で練った

ネタに鍵をかけ

 

明日の私を 気づかうことより

あなたの未来を

見つめてほしいの

涙で綴り終えた お別れの手紙

涙で綴り終えた お別れの手紙

涙で綴り終えた お別れの手紙…

(由紀さおり『手紙』)

 

 寺山修司の抒情詩を読むとき、『手紙』の由紀さおりの歌声を思い浮かべよう。寺山修司はリズムを重視することにより、彼の俳句や短歌がモチーフにした作品と比べてそうであるように、リズムを束縛していた重苦しく、じっとりとした暗さの代わりに、すがすがしいカラッとした明るさを獲得する。そうした涼やかで軽やかな透明感としての抒情を由紀さおりの歌声は具現化している。

 

 わたしは一生かかって

 かくれんぼの鬼です

 お嫁ももらいません

 手鏡にうつる遠い日の

 夕焼空に向かって

 もういいかい?

 と呼びかけながら

 しずかに老いてゆくでしょう

(寺山修司『初恋の人が忘れられなかったら』)

 

ただし、『時には母のない子のように』だけは、『夜明けのスキャット』の歌手ではなく、姉の安田祥子の歌声でなければならない。母と子の抒情詩にはいささか流行歌手風の俗っぽさが似合わないからだ。

 

I've been traveling a long time,

To be just where you are.

In dreams I have seen you,

But you are so very far.

 

How long must I travel on,

To be just where you are?

How long must I travel on,

To be just where you are?

 

I was your friend,

I was a fool,

I feel for you, though we're far apart.

I see your face,

Lost without trace,

I see your mind, just an empty space.

 

Mindless child of motherhood,

You have lost the thing that's good.

Mindless child of motherhood,

You have lost the thing that's good.

 

I know that it's not fair,

To bare a bastard son,

But why do you hide there,

When we could have shared a love?

 

How long must I travel on,

To be just where you are?

How long must I travel on,

To be just where you are?

 

I was your friend,

I was a fool,

I feel for you, though we're far apart.

I see your face,

Lost without trace,

I see your mind, just an empty space.

 

Mindless child of motherhood,

You have lost the thing that's good.

Mindless child of motherhood,

You have lost the thing that's good.

 

To me.

(The Kinks “Mindless Child Of Motherhood”)

 

 寺山修司の中でこれまで見逃されながら、最も重要なのは「地平線」の思想である。寺山修司は「地平線」を目指す。それは「連想のリズム」の帰結である。神の死が決定不能になり、内部と外部の区別も同様の事態に陥る。「地平線」はそうした内部と外部が決定不能な場所である。彼は、『地平線のパロール』において、「まだだれ一人として、地平線まで行った者はいなかった」と同時に「世界中のだれもが地平線の上に立っている」と言っている。地平線は「どこにもなくて、どこにも在るもの」である。そこは中心ではないが、周辺でもない。「辺境部」である。「世界で一ばん遠い場所」であり、内部と外部を分ける境界も意味をなさない。文化は越境の力学によって生まれるのではなく、言語的な表現であれば、「遠近感を言語化することである」。『地平線のパロール』において、旧約聖書の登場人物の中で、自ら進んでソドムに住み、「卑怯で臆病で、偽善的な」ロトを選び、現代のサラリーマン社会における「父親」と絡めて論じているのもこの「地平線」の思考の表われである。「その倫理観とエゴチズムとは、そのまま私たちの同時代の『お父さん』たちにあてはまる」。

 

Have you ever dreamed of a place far away from it all?

Where the air you breathe is soft and clean,

And children play in fields of green,

And the sound of guns

Doesn't pound in your ears.

 

Have you ever dreamed of a place far away from it all?

Where the winter winds will never blow,

And living things have room to grow,

And the sound of guns

Doesn't pound in your ears, anymore.

 

Many miles from yesterday,

Before you reach tomorrow,

Where the time is always just today,

 

There's a Lost Horizon,

Waiting to be found.

There's a Lost Horizon

Where the sound of guns

Doesn't pound in your ears, anymore.

(Burt Bacharach & Hal David “Lost Horizon”)

 

 そういった「地平線」はガルゲンフモールによって認識される。『さかさま博物誌青蛾館』の中で「首吊人愉快」を論じている。「首吊人愉快」は「首吊り人のユーモア」、すなわちガルゲンフモールのことであり、現代において、最も重要な姿勢である。「私は、今でもやっぱり笑わない男である」し、「万が一、一度でもクスリと笑いを洩らしたら、私はあなたとは二度と口を利くことはないと思っていただきたい。では、さようなら」と書く時、寺山修司は、喜劇を演じながら、決して笑顔を見せなかった「グレート・ストーンフェイス(The Great Stone Face)」ことバスター・キートンのように、ガルゲンフモールを描いている。バスター・キートンはサイレント映画を代表するコメディアンであり、ポーカーフェイスと絶妙な間合い、アクロバッティックな身のこなしと機知にとんだギャグで知られる。寺山修司は「笑い」を徹底的に批判し、「マジメ」と「怒り」を賞賛する。しかし、それこそがバスター・キートンばりの彼のガルゲンフモールにほかならない。ロシアで、ガルゲンフモールを秘めたジョークを「アネクドート」と呼ぶが、帝政時代から伝わるこんなものが知られている。「大隊長は三度笑う。最初はみんなが笑う時である。二度目は彼がわかった時である。三度目は彼がすぐにはわからなかったことに対してである。中隊長は二度笑う。最初はみんなが笑う時である。二度目はそれがわかった時である。大隊附き医師ラヴィノヴィチは一般に笑わない。すべてのアネクドートがわかっているからである」。

 寺山修司は、『さかさま世界史怪物伝』において、グリゴーリ・イェフィモヴィチ・ラスプーチンから始まりチャールズ・ダーウィンまで古今東西の二三人の「怪物」をガルゲンフモールによって批評している。寺山修司は、今日的な問題を諷刺しつつ、無尽蔵なユーモアによって怪物を扱う。「人間は人間のままで、類人猿とはまったくべつに神によって創造されたと考える『旧約聖書』の説得にも、興味はもつが全面的に同意してしまう自信がない」けれども、大気汚染のために伸びる都会に住む人々の鼻毛は「進化」なのかとダーウィンに問いかける。これを進化論に関する曲解もしくは誤解だと非難するべきではない。「過去の一切は比喩であり、虚構であり、作り変えが可能である。空想と科学は、簡単に切りはなしてしまったら、味もソッケもなくなってしまうだろう」。ただし、「空想を、現実の中で具現しようとすることは、いかなる時代においても、犯罪的であると、私は考える」。怪物は、マルキ・ド・サド侯爵にしろ、アドルフ・ヒットラーにしろ、ネロことルキウス・ドミティウス・アエノバルブスにしろ、暗く重い沈黙を歴史に残している。だからと言って、短絡的な善と悪の二項対立の図式に基づき、思いつくだけの罵詈雑言を並べればすむというものでもない。むしろ、社会的で反権威的なユーモアによって彼らを浪費するのが最も効果的である。寺山修司によれば、「ハイル・ヒットラー」と言うことがヒットラーへの決定的な批判とさえなり得るのだ。「いまでは、人はだれでもヒトラーと呼ぶ。だが、私はヒットラー、『ヒ』と『ト』の間でツバをとばすような呼び方の方が好きである。その方が、はるかにヒットラーにふさわしいと思うからである。いかがですか? ハイル・ヒットラー……」。

 「愛したことのない人は明日は愛するように、愛したことのある人も明日愛することを (cras amet qui nunquam amavit quique amavit cras ame)」(作者不詳『ウェヌスの宵宮(Pervigilium Veneris)』)。

 

きみは

荒れはてた土地にでも

種子をまくことができるか?

 

きみは

花の咲かない故郷の渚にでも

種子をまくことができるか?

 

きみは

流れる水のなかにでも

種子をまくことができるか?

 

たとえ

世界の終りが明日だとしても

種子をまくことができるか?

 

恋人よ

種子はわが愛

(寺山修司『種子』)

 

寺山修司であそぼ。

〈了〉

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